神奈川県の鎌倉市にある栄光学園というカトリック系の学校の元理事長であるドイツ人のグスタフ・フォス先生の、少年時代の話です。

彼は少年時代に貴重な体験をしました。

ある日、彼は自宅に友達が来るというので、料理を作っていた母親に話しかけました。

「ねえ、お母さん、明日、友達が遊びに来るんだけど、お父さんのあの汚い手、どうにかならない?友達に見られたら、ぼく恥ずかしいよ」

フォス少年のお父さんは炭鉱夫でした。その手は石炭の塵でいつも黒ずんでいたのです。
息子の言葉に、母親は家事の手を休め、息子をじっと見据えて言いました。

「お前は、何てことを言うの?お父さんの手は素晴らしい手じゃないの。仕事をする手なのよ。それを汚くて恥ずかしい手だなんて…。お母さんはね、あの手が美しくて素敵な手だから結婚したのよ」…

毅然とした母の言葉にフォス少年は立ちすくみ、頭を下げて立ち去りました。
この時、少年は、労働の尊さ、本当の美しさ、真実の愛情は何であるかを学んだのです。

その年の誕生日に、両親は息子にデューラーの銅版画「祈る手」を贈りました。少年はその「祈る手」を勉強部屋の壁に飾りました。

それは、父のすすだらけの手であり、母の家事で赤く腫れた手でもありました。
その手に見守られて、少年の手も「祈る手」となっていきました。

もしあの時、お母さんが「そうよねえ、お父さんのあの汚い手、お母さんもいつも気になっていたのよ。明日は1日、お父さんにどこかへ行っててもらいましょうか」と言ったとしたら、教育者フォス先生は生まれてこなかったでしょう。

やがてこの教育者フォス先生の元から、多くの若者が立派に巣立っていったのです。

父親の労働で黒ずんだ手、母親の家事で荒れた傷だらけの手。しかし、それはこの世で一番素晴らしく、美しい手なのです…。