秋ですね
肌寒いし、お布団のヌクヌク毛布がたまりません~。
先日の記事の続きです。
先日の記事はコチラ。
私は幼い頃は、とっても活発でした。
口が達者で頭の回転も早く(自分で言う。笑)
どう発言したら大人が喜ぶか、を考えて接しているような子どもでした。
小学2年生になる時に引っ越しをしたので、それ以前の、古い家に住んでいた時の
記憶も沢山あって、すなわち6歳あたりまで、なんですけども
引っ越しがあったことで、自分の記憶の年代がごっちゃにならずに
分かりやすく覚えていられているんだな、と思います。
引っ越し前、保育園に行っていた頃、毎年、町の盆踊りに行っていました。
大人顔負けで踊りまくり、大人を差し置いて『特賞』を獲ったりしたし
町のカラオケ大会では(子ども部門)2位を獲ったこともありました
その時の1位は、5,6年生の大きなお姉さんでした。
歌ったり踊ったり、が大好きで、また、上手だと褒められていたので
ますます大好きで磨きがかかっていたんだと思う。笑
クリエイティビティといえばターコイズ。という事でいうと
歌っていたし踊っていたし。がターコイズ。という訳ではなくて
魂の喜びを、あるがままに表現できていたこと。がターコイズなのかな。と。
大声で歌うのは恥ずかしい。
とか
人前で一心不乱に踊る姿ってどうなの?
とか、微塵も思っていなかったから、ね。(じゃなきゃ出来ないよね。笑)
あの頃は、本当に自分が自分の世界の主人公だったな、と思うのです
それでも、やっぱり小学校に入ると、接する世界がガラリと変わり
お友達関係とか、自我の成長とか、少しずつ自分のいる世界が変化したなって
思います。
そして小2で引っ越しをするわけですけど、幼かった私はきっと想像以上に
影響を受けたのではないかな~と、今となっては思います。
うちは、父がお婿さんなんですね。
母は二人姉妹の長女、父は三人兄弟の末っ子です。
小1まで住んでいた家は、一つ屋根の下に祖父母も一緒に暮らしていました。
母は、高校卒業以来ずっと正社員で働いていました。
夜勤も当直もある職場でした。
私が生まれた後も、確か3カ月くらいで職場復帰しています。
私は完全ミルク育ち(それを今は否定も肯定もしていません)
きっと、基本的には祖父母とベッタリだったでしょうね。
祖父母が大好きで、お風呂も一緒に寝るのも祖父だった記憶があります。
父の居場所はなかっただろうな~と思いますね。
祖父の態度も酷かった、と後になって知りました。
ただ当時の私は祖父が大好きだったし、祖父と父との関係なんて
気にしたこともありませんでした。
それは当たり前だし、でも、もしかしたら何かしらは感じていて
祖父母になついていたのも、私なりに理由があったのだと思うけど。
祖父母に甘やかされて、やりたい放題だった私なのでした。
欲しい物があっても両親に買ってもらえない時は
すぐ祖父母におねだりして買ってもらっていましたわ、、、
祖父母もそれぞれに商売をしていたので、それなりにお金もあったんでしょうね~。
父からしてみたら、自分の教育方針というか、育児の考え方とか
理想の父親像とか、を、行動できない環境にあったと思います。
だって、私は何かあったら祖父母に泣きつけば良かったので
安全な居場所が約束されていました^^;
小2で引っ越した新しい家は、祖父母は同じ敷地内、隣の家になりました。
続く。
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