こんにちは♡
先日は母の日でしたね♡
こちらは秀吉が母親におくったことから始まりと言われている鯛の塩釜焼です。
豊臣秀吉が朝鮮出張の時に玄界灘でとれた鯛を潮に包んで母親に送ったことが始まりと言われていますので、
秀吉が母の日に送ったわけではないのですが。。。
秀吉がお母様を思う気持ちがつたわりますね
塩でつつむことでうまみを閉じ込められ、冷蔵庫の無い時代には腐敗予防にもなったようです。(私はお写真でちらりとみえるとおり、塩釜の内側に昆布も巻いています)
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さて。
本日は師弟の関係について少し書きたいと思います
突然ですが皆様「守破離(しゅはり)」という言葉をご存知でしょうか💡
剣道や茶道など日本の芸道・芸術における修行の過程を表したもので
師弟関係の在り方の一つであります。
「守」・・・師の教え、型、を忠実に守り、身に着ける
「破」・・・師の教え、型だけでなく、
他の流派や師についても考え、自分の工夫を入れ、発展させていく
「離」・・・師の教え、型から離れ、
独創性なアイディアを生みだして確立させていく
の三段階で表されています
私は剣道についてはよくわからないのですが、、、、
茶道や華道には流派がありますよね💖
(私は少しですが、、、茶道は表千家、華道は小原流を学びました)
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他方、面白いのは、琳派にはそのような“流派”が無いということ
なので、琳派の中で弟子が師に教えを請うということは無く
琳派の創始者の本阿弥光悦(1558生~)と俵屋宗達(?生~)
↓約100年
兄弟で活躍した尾形光琳(1658生~)と尾形乾山(1663生~)
↓約100年
江戸琳派で活躍した酒井抱一(1761生~)と江戸時代後期の鈴木其一(1796生~)
のように、
西暦1600年前後から約100年ごとに後世に名をのこす琳派の絵師が登場するのですが、
琳派の絵師たちは、尊敬する絵師を師と仰ぎながらも、直接教えを請うのではなく、
ひたすら作品を模写して(100年前の作品も)、模範として学び、自分の作品を作り出すことで、先人にこたえようとしました。
これを「私淑(ししゅく)」といいます
琳派は「私淑(ししゅく)」という形でその様式を継承していきました。
尾形光琳の燕子花図
↓
(写真引用:wiki 燕子花図)
鈴木其一の朝顔図
↓
(写真引用:wiki 朝顔図屏風)
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剣道や茶道は守破離によって
琳派は私淑によって
芸を学びますが、
守破離の関係でも、私淑の関係でも、
まずは師と同じように、、、、
という意識から始まるところは一緒ですね。
何かを学ぶ時は、
まずは尊敬する人、素敵だなとおもうものを、
真似るとこから学びが始まり、上達していくのではないかなと思います。
誰かの真似を、そのまま自分の作品にしてしまってはダメですが、
真似することで学んでいく。という過程は
大事なのではないかな。と思います。
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私も色々な良いもの・素敵なものを見て、学びつづけていきたいと思います♡
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それではまた~
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