先日の面接交渉調停を前に、夫からメールが届いた。


内容は、

子供達と交流をさせろ。子供達は大切な時期だ。長女は中学を前に勉強させてやらなければならない。次女はピアノをやりたいと言っていた。三女は運動神経が稀有だから、何かさせてやらないともったいない。

自分は子供達に夏休みは100M泳げるようにさせようと思っていた。冬は自分が得意なスキーで級を上げさせてやりたいと思っていた。

子供達と自分はきわめて良好な関係を保っていた。

子供達が大切な時期に、何もしてやれないことがつらい、苦しい。


そして締めの言葉。

「キミは十分に僕を苦しめました。僕は精神的にも参っています。もういいんじゃないですか」


はあ。

いいことですよね。

子供達に、習い事、させてやりたいです、私も。お金があれば。

スキー、連れて行ってやりたいです。お金があれば。


なんだか、この内容だけ読むと子供達の教育に熱心な子煩悩な父親に思えるのだけど。

実際はなんだか違った。うまく説明するのが難しいし、私の主観が入ってしまうのでストレートに伝わるのか不安なのだが。


どうも夫は、子供の頃、親に何もさせてもらえなくて、それが故になんだか自信がなくて、それを学生時代に「自分の力で」克服したとかたくなに信じているらしく、子供達にそういうみじめな思いをさせないために、とにかくスポーツをやらせたいという価値観に縛られていた。しかも、できるだけ安価で。


逆に私のほうは、自分が親にしてもらったことを、親にしてもらったタイミングで子供達に与えることを無意識のうちに考えていたようだ。

しまじろう(私のころは学研)に始まって、長女にバレエをやらせたり、上の二人に英語を習わせたり、その後は自分が関心を持ったカンフー教室に3人を通わせていた。

ところが夫は、私が子供達と楽しむ趣味、習い事にはほとんど価値を見出さないのである。結果、そのためのお金をとてもしぶる。というか、出してくれない。要するに、生活費の中でやりくれ、それができないなら稼いだ金でやらせろということなのだ。


脱出直前も、次女が習いたがっていたピアノについて、

「原資は増やせないんだからな(金はお前が何とかしろよ)。」ということを何度も言っていた。


だけど、この後、塾、習い事、どんどんお金がかかってくる年頃の子供達なのに、夫婦の間でお金に関する話し合いができないのは本当に致命的で、苦痛だった(これは習い事だけじゃなくて、必要な家電、家具、私が行きたい場所への旅行、すべてでそうだった)。


長女がバレエを習っていた頃。発表会があり、15万近くの参加費が必要だと先生に告げられた。

それを自宅に帰って夫に言うと、「馬鹿馬鹿しい」と一蹴された。

だけど、この後のバレエ教室は発表会に向けての練習になる。もしうちの子が発表会に出席しない場合、練習内容は他の子たちとまったく違うものになるだろう。最悪、お休みしなければならないかもしれない。そのときの子供の気持ちを考えると、発表会には出して上げられないとはとてもいえなかった。


結局このお金は私が工面した。


問題はこの後だ。

発表会当日、夫、義母、義妹が連れ立って会場にやってきて、長女の晴れ舞台に歓声を上げた。

その後、揃って食事に行った席で、長女の頭をなでながら、「いい経験したなー」

おいおい、馬鹿馬鹿しかったんじゃないのか。そこまで言うならちゃんとお金を出してほしいよ。

逆に馬鹿馬鹿しいと言ったなら見に来るなよ。


確かに冬場、スキーにはよく連れて行っていた。自分が得意なことだから。

「金がかかっているんだ」と恩を売ることも忘れなかったが。


夫的には、自分は自分の価値観に合うことを子供に教え、そのためには金も使う。

だけど、お前の価値観でやらせること、子供が望んでも自分の価値観に会わないことには金を出さない、

ということらしい。


そういえば、夏休みも、

「いつもの年なら自分が~させてやっていた。~に連れてやっていた。ちゃんとできていますか」

と尋問調のメールが来てたっけ。


はあー。

何が言いたいのか自分でも分からなくなってきたが、


モラの子供への愛情って何なんだろう、モラにとって親の存在価値って何なんだろう。


私にとっては。。。習い事とか、そういうものは、家庭の経済事情や子供の数に左右されて当たり前だと思うし、これを習わせてあげたから幸せな子供、とか、これができなかったから子供の可能性を摘んでしまったとか、そういう考え方はしない。


習い事が将来に結びつくこともあるけれど、基本的には人間の幅を広げたり、自信を持たせてあげたりすることが目的なんだから、できる範囲でいいんだと思う。


もっと大切な事は…


家庭の中で愛を感じること、安心できること、存在していいんだって思えることだ。

そこから、子供は安心して外の世界に出る距離を延ばしていくんだから。


だけど、そんな家庭の中で、片方の親がもう片方の親を罵倒したり、バカにしたり、あからさまに無視したり、まして暴力を振るっていたらどうだろう。。。

習い事以前に、家族としての前提が大きく崩れてしまわないか。

「教育上よくない」この言葉はこんなシチュエーションにこそぴったりなんではないか。


思春期に入るころには子供達は、

「母親はバカにしていい存在」と父親の態度を学んでまねするか、

「妻というのは我慢して当たり前」と間違った観念を身に付けて人と出会い、相手との誤った関係に身をおくことになるか、

どちらかになるような気がしてならなかった。


もっとも、渦中にいた頃のわたしはそんなに冷静に将来を分析していたのでなく、もう「明日」「明後日」ここにいるのが苦痛、ここにいては死んでしまう、そんな間隔の中で日々暮らしていたのだが。


とはいうものの、生活に少しでも余裕ができたら、そのお金で子供達に何か好きなことをやらせてやりたい。

次女が音楽に興味を持っていたので、今日、私がずっと習っていたフルートを引っ張り出してきて、子供達に音の出し方を教えていたら、全員がフルートを習いたいと言い出して困ってしまった。


こんな試行錯誤の中で、子供達が好きなことを見つけて、自信を付けて、そしてちょっとだけ、親の愛を感じてくれたらいいな。。。