投げ打っていこうとしている生活の中で、後ろ髪を引かれるもの。

脱出直前の生活で一番心かき乱されること。


それは、私たちがいない、この家、この場所で、本来ならあったはずの「4月以降の生活」かもしれない。

4月には、娘たちはそれぞれ進級する。三女はまもなく保育園を卒園し、本来ならクラスのお友達と手をとりあって小学校に入学し、姉たちがそれを誇らしそうに迎える、というワンシーンがあったはずだ。


脱出を目前にして私は父母たちの集まる場所をあえて避けているが(4月以降、当然に話題になる中で、「あのとき、彼女あんなだったわよねえ」とか言われたくない)それでも、保育園の送り迎えにママ同志で小学校の話になると、嘘をついているようで辛い。


それは夫との間でも同じ。「4月○日、オートキャンプ場を予約しました」とか、「4月になったら次女にピアノを習わせようと思いますが」といったメールがぽつん、ぽつんと入る。私はそれを無視するか、当たり障りのない返事を返す。

ごめん、だって、4月以降の話をされても、私たちはもうここにはいないんだよ。

すごく残酷な計画をしているようで自己嫌悪を感じるが、本当は心の中でこんなメールを書いた。


「4月以降の話をされても、私は12月に言ったとおり、あなたとこれ以上暮らしていくつもりはありません。殴っても、ひどいことを言っても、やった方は何の決着もつけずに忘れられても、やられたほうは苦しみ続けるんだよ。」


どんなに強い心残りを感じようと、それを上回る脱出願望が私を動かしている。