私は普段車に乗る事が多くて
うろうろ徘徊しているのですが。

今日は
壁に手をついて横をじっと眺めている
おばぁちゃんを見かけました。

足が痛いのかな

 とか

具合悪いのかな

とか

いろいろね、想像してました。 

あぁ、歳をとるとやっぱりカラダは
きついのだろうなぁ、とかね
考えていたら
その約10メートル先

おばぁちゃんがもうひとり。

んん?

2人は見つめ合って
何かを話している、、、

いや、ぜったい何も聞こえない距離。
でも確実に2人は何かを話しているご様子。

でもなんか頷いてるし
ゴモゴモしてるし、見つめ合ってるし

いや、ぜったい何も聞こえない距離。
でも確実に...

彼女達にしか分からない領域なのか...
聞こえないけど目と目で通じ合う
もはや工藤静香状態...

むしろあんまり聞こえない方が
関係は成立するのかもしれない。
会話は成立しないけれど。

基本的に人と人は
それぞれの思い込みで出来てるし。
人の話なんて
聞き過ぎるとロクなことないしね。

歳を重ねる毎に
そんなに大事な事なんて
たくさんない事に気付いて
自分の中でほんとうに大事なものが
明確なのかもしれないなぁ。
年寄りはワガママで頑固だ、とかね
そんな言い方もできそうだけど。
まぁ色々な方がいらっしゃいますから。

絵的にはとても興味深いものだった。
思わず、二度見。




「つぼみの時も朽ちる寸前も
    全ては均等に美しい。」


朽ちる寸前。

耳は遠くなる
体力が無くなる
カラダも自由がきかなくなる
髪もぽやぽやだし
腰は曲がるし
顔もシワシワ

でもね、その時にしかない
感性や感覚がある。

〝ないからあるもの〟

耳が不自由であれば
耳が聞こえる人には聞こえない音や
手触りを感じる事ができるかもしれないし。


でも、そういう老人や障害者や
もっと言えば犯罪者だったり
そういうフツウと思われるところから
はみ出してしまう人たちへの
社会の評価ってどうなんでしょうね?

同じような人ばかりでは
発展などないなんて言いながら
人類は都合の良い多数決で出来てる不思議。

人の命が地球より重くなったのは
いつからでしょう。
これも人類の都合の良い多数決によって
決まってきた事だと思っているけど。

えぇまぁその多数決のおかげでね
キズナという意味のわからない
言葉が飛び交いましたよね。
伝統はコメディになりました。
一番サイアクなのは
教育がオカシクなった事ですよね。

多数決で決まる流れの根はとても深く
そうなるような歴史もあったんだと思うけど。
共感というにはあまりにも愚かな
他人任せな感情で成り立ってるのでは
と感じずにはいられないのです。

言葉なんて嘘の塊ですよ。
だって、そうでしょう?
ひとつの発言から相手の感度の
何パーセントを感じ取れますか?

あなたは相手の言葉を
嘘にしない思考をお持ちですか?

私たちは同じ場所で他の誰かと
同じ風景を見ていても
全く同じ風景を見る事は絶対に
できないのです。

でも、嘘の塊から何かを感じて
深めていく事が出来る。
それが人の美しさなんだと思うんですよ。

と、いう事で。


シンプルに生きる
とか、そんな言葉にもならないほどの
シンプルの極み、というお話。

あれ?違いましたか?
でも大丈夫、私はそう思っています。

今を生きて失い続けたいのです。
失った分、何かを得るなんて
そんなセコい事言わないで
ただ失い尽きるまで失いたいなぁ。

そのうち空、飛べるかもなぁ♡