私が誰かのイメージ通りに生きていて
それが壊れてその人を悲しませたとしたら
それはもう私の責任ではない
私の責任で幸せにできるのは
自分しかいない
他人の感情に関しては
誰もが無力なんだなぁ
役に立てないんだなぁ
このことが
悲しくて仕方ない
誰かのイメージ通りに生きたら
誰かを喜ばせることができると
信じていた
表面的にはそうできていたし
誰かのイメージ通りの私なら喜んでくれた
そうだったけど
その生き方では虚しかったから
本当の自分になりたかったのに
本当の自分になろうとすると
そこに引っ張られる
あまりにも悲しくて
まだ手放せない感じがするので
何がそんなに悲しいのか考えてみた
幸せにできると思っていたのに
できないことが悲しい
幸せにする力があるのに
できないことが悲しい
心の奥底では
自分には誰かを幸せにする力がある
って思ってる😆かなり強く思ってる😆
だから
その力がないことを認めるのがとても嫌で
その力がないことがとてもとても悲しい
その力がないと私じゃないと思っていて
その力がとても欲しかったんだろうね
本当はそんな力はないのに
あるように見せるには
相手の望む私になって
相手を笑顔にしたり
喜んでもらったりするしか
できなかったんだよね
でも虚しかったんだよね
私の虚像だからね
私が虚しかったらさ
その幸せも
虚しいもので虚像なんだよね
私には誰かを幸せにする力があって
私はその力を使って
誰かを幸せにしなければならない
って思っていた
だけど
本当はそんな力はないし
誰かを幸せにする必要もなかったのだ
これ
今までずっとこう信じて生きてきたから
それが覆ることが
今までの自分の人生を否定するような感じがして
受け入れられないのだな