昨日、「リフレーミング」というワードでyoutubeを検索したら、”ビリギャル”の著者である坪井信貴さんが出演されている動画を発見した。

 

その中で坪井さんが「何のために塾講師をされているのか?」という質問に答えられているその内容が、私がいったんは離れた教育現場にまた戻った理由と同じだったのでとても嬉しかった。今の教育に対する見方も一緒だなぁ。わぁ嬉しいなぁと、なんだか熱い喜びを感じてしまった。

 

ただ、「どんな学校を望むか。」という問いに対しての答えは私とは少し違った。

 

娘二人が不登校になって間もなくのころは、「学校っていらないんじゃない…?」などと考えたりもしたが、再び学校現場に戻った際に、ひたすら公平な目で学校というものを観察してみた。

 

そして次のように考えた。

 

「私がいいなぁと思える学校ってどんなところ?」

 

人が集う場所としてはいいんじゃないかな。

だけど、同じ年齢で同じ学年を構成することにはこだわらなくてもいいかも。

 

何より一番こうあってほしいというのは、

【私とあなたは違うね。でも私も素晴らしいし、あなたも素晴らしい。】

という心を育て、自分も他人も認めながら、共に何かを作り上げたり、切磋琢磨したりする場であってほしいということである。

 

これは一人ではできない。

人が集う場所でなければできないことである。

 

この考えに至った時、私は「学校って、あってもいいかも。」と思えたのである。

 

子どもも大人も嬉々として通うところ。

学校はそんなところであってほしい。