☯陰陽破戒無慚⑰異質
店から五分程のところにあるカレー屋の店先。
「凌ちゃん、取り敢えず場所を変えよう」
キヨさんの言葉は、耳に入って来なかった。
場所…ああ、移動しようという事か。
店からソーちゃんを引っ張り出し、病院に連れて行きたいところだが…
その前のキヨさんの言葉が、俺を躊躇させた。
「ここ、何かいる」
キヨさんが“何か”と言ったら、それはもう“あっち系の何か”である。
ではソーちゃんは“あっち系の何か”にやられたのか?
いや違う、それくらいは俺にも分かる。
誰かが拳または武器を使って殴ったものに違いなかった。
幽霊?みたいなものに殴られて、泣く筈が無いじゃないか。
それでも陰陽道を学び始めて、ひと月と少し。
それなりに知識も詰め込んだ今の俺は…
“何かいる”と言われれば、感情任せでは動けない。
「凌ちゃん、聞いてるか?しっかりしな。大丈夫、病院にはすぐに行かせるから」
店名と住所を手帳にメモしながら、キヨさんは言った。
「よし…さあ、退散しよう」
移動した先は、例の喫茶店。
今日も殆どの席が埋まっている。あの老婆が、また少し若くなっていた。
「電話してくるから待ってて」
キヨさんは外に出て、手帳を片手に誰かと話している。
五分程で戻って来ると「救急車、オッケー」と言った。
知り合いの刑事に電話して、あのカレー屋に大怪我を負った外国人従業員がいると、話してくれたのだった。
すぐに刑事または警察官と救急隊が行くだろうとのこと。
賢明だと思った。
あの場で俺が無理やり病院に連れていく事も出来なくは無いが、トラブルは必至だったろう。
あの様子なら、他ならぬ本人が抵抗したかも知れない。
ソーちゃんが母国語で何を言ってたのかは不明だが…
言葉と態度から思うに、俺は拒絶されていた。それは間違い無い事だ。
警察が救急隊を伴って行けば、十中八九病院に連れて行けるだろう。
キヨさんの冷静な判断と対処が、心底有り難かった。
『誰が、あんなに…』
「搬送先が決まったら、あたしのところに折り返しが来る。それから行ったらいいよ」
『ありがとうございます』
ひと安心した俺が思いを巡らせたのは…
今日、店に遅れる、または休む。その言い訳だった。
奴等は心配性が過ぎる。
そのまま事実を言えばいいと思うだろうが、そうはいかない。
ソーちゃんが大怪我を負わされたと聞いたら、チーフが怒り狂ってしまうのが、火を見るより明らかだ。
チーフはクソがつくほど真面目であり、温厚を絵に描いたような、今時珍しい若者である。
しかし親しい人間が傷つけられると、その怒りを制御できないのが欠点だった。
もちろん俺自身は、それが欠点だとは思っていない。寧ろ好感を抱いているが。
あいつは高校生の時、親友をリンチして重傷を負わせたグループを、一人残らず半殺しにした。
その数、八人。
相手はバットや刃物を持っていた。チーフは素手。
ほぼ全員が骨折又は亀裂骨折、半分の四人は集中治療室に直行した。
チーフの方はと言えば、手の甲に擦り傷を負ったのみだった。
ソーちゃんが病院送りにされたと知れたら、俺でも奴を止められる自信がないのだ。
俺自身も、日頃から人に怪我など負わされぬよう、気をつけている。もしそうなったら、あいつは加害者を殺してしまうだろうから。
なんて言って遅刻しよう…。
考えていると、キヨさんの携帯が鳴った。
表で話し戻って来ると、病院名と住所が書かれたメモをくれた。
おそらく眼窩底を骨折していて、十数か所の打撲と亀裂骨折を確認。今のところ脳へのダメージは無さそうに見えるが、もし打ち所が悪ければ、命も危なかったくらいの衝撃を受けているとのこと。
また怒りが込み上げてきた。
「凌ちゃん、行く前にちょっと」
『はい』
「さっきの異国のお兄さんとは、何処で知り合ったの?」
俺はこれまでの経緯をキヨさんに説明した。
「じゃあ今朝の今朝まで、三人でご機嫌で飲んでたって事かい?」
『そうです。さっきは別人みたいになってて。態度も…見た目も』
俺からも、キヨさんに訊きたい事があった。
それはもちろん“ここ、何かいる”という言葉の真意、詳細である。
キヨさん曰く、あの怪我は人の仕業だろうと。
そして“何か”とは、やはり怪異の類。
ただ、これまで俺が祓ったものとは異質だという事だった。
「この喫茶店や公園みたいに、場所に憑いてるって感じじゃない」
『という事は、動き回るんですか?』
「う~む…まだ何とも言えないけど、人に憑いてると思うね。これからゲンさん達と合流するから、三人で探りを入れてみるよ」
『分かりました。すみませんが、お願いします』
「ところでさ」
『え?』
「何処で会ったって言ったっけ?あの兄さんと」
『ですから、○○町にある焼き鳥屋です。席が隣になって』
「偶然?」
『偶然』
「何かこうさ、そっち関連を引きつけるというか、自分で近づいてくというか…凌ちゃんはそういう所があるねえ。この茶店の時もそうだったし…いや、褒めてるんだよ?それも才能だからさ」
あの店を選んだのは俺じゃなくて、チーフの鼻なんだが。
『はあ…あ、じゃあ俺行きます』
「うん、またあとで」
俺は走って、タクシーを拾える大通りに向かった。
ソーちゃん、無事でいてくれ。
既に無事では無いが、とにかく何事も無く回復してくれ。
そして、何があったのか話してくれ。
時刻は開店の三十分前になっていた。
病院に向かうタクシーの中、チーフに電話する。
言い訳は、我ながら素晴らしいものを考えついていた。
『ああ、俺だ。おはよう。ごめん、今日遅れるわ。実はさ…』
「かしこまりました!ゆっくり来てください。疲れてるんだから、休んでも大丈夫っすよ!ちゃんとやっときますんで!では、ごゆっくり!」
言い訳考えて損した。
つづく
※このお話は、事実を元にしたフィクションです。
凋落の一途を辿る、陰陽師の生き残りたち。
突如現れた異分子は、救世主なのか、殲滅者なのか。
