☯陰陽破戒無慚⑭ボーナス

「あの樹でね、首吊った人がいたの」
『えええっ!?』
不覚。驚いてしまった。
「あの桜の樹でね。それからよ。あそこに人っ子一人寄り付かなくなったのは」
俺は死んだ人と接触してきたという事か。背筋が冷たくなってきた。
「亡くなったのは近隣に住んでる会社員の男。まだ小さかったお子さんを、不幸な事故で亡くしたらしい。毎日あの公園で、遊んでる子どもたちを、何時間も眺めていたそうだ」
キヨさんは続ける。
「まあ、恨めしい顔してジロジロ見てくるサラリーマンが居れば、子どもは気味悪がって足が遠のくよ。しまいには自殺してしまうし…それでもさ?亡くなって二十年も経てば、そういうのは段々と忘れられていくでしょ?当時の子どもたちだって、大人になる。新しく生まれてきた子供たちは、そんな話は知らないんだから」
『…』
「でも、何年経っても、子どもも大人も寄り付かない。行政も色々試みた。トイレを建て替えたり、新しい遊具を買ったり。普通さ、おニューのブランコなんかが出来たら、子供たちが群がるじゃない」
『はい』
「全く来なかったんだって」
『そうなんですか』
「工事しに来る作業員は、次々に身体の不調を訴えたとか」
『うわ…』
「トイレやブランコじゃなかったんだよ。何かやるなら、あの樹を取っ払うべきだった。そうしたら、違う結果になっていたかもね」
怖すぎる。これを聞いてビビるなというのは無理だ。
「それはそうと凌ちゃん、随分大きな氣が出たんだね」
咄嗟に腹部に右手が行く。
「そうそう。自分で分かったよね?」
『はあ…でも、まだ分からない事の方が多いです』
キヨさんは、俺に色々と教えたいことがあるという。
「ごめんね。昨日は凌ちゃんを試すような恰好になった。でも、知識ゼロでどこまで出来るかを見ないと、器も技量も分からないのよ。出来る奴は、何も知らなくても恰好をつけるもんなの」
何にも言わずに放り出してみて、力の程を知ろうという事か。
『ライオンの仔じゃないんですから…』
「あっはっはっは」
キヨさんはでかい声で笑うと、鞄から封筒を出した。
「はい、これは残り」
前金と同じ厚みだった。
「来てくれるよね?もう試すような真似はしない」
陰陽師。
そして、普通は目に見えない物の数々。
氣、祓、式神。
もう、信じる信じないの話ではない。俺は既に体感したのだ。
呑み込むしかなかった。
あの狐は、常人には見えないという。
無人の公園は、昨日を境に一変した。
ここで躊躇するのなら、前金ともども突っ返して、今すぐここを去るべきだ。
もちろん昨日の今日だから、あの恐怖は全く消えてない。
気持ち悪かった。死ぬかと思った。
だが、心底からビビらされた“悔しさ”が、恐怖を上回っていた。
そして何より、普通では出来ない種類の人助けに、大きな魅力を感じていた。
『はい。お願いします』
「うんうん。明日から、来れる時でいい。仕事の前に、あたしんとこに来て」
『分かりました。よろしく願いします』
「うんうん」
キヨさんは、とても嬉しそうだった。
明日から仕事前にキヨさんのところに通おう。
“分からない、知らない、怖い”は、男の恥だ。
逃げる事ほど恰好悪いものは無いのだから。
キヨさんと別れ、普段より早めに出勤すると…チーフが大音量で“ブルーハーツ”を流し、自らも熱唱しながら、モップをかけていた。
黙ってソファに座る。声を掛けても、この音量では聞こえない。
やがてチーフは俺に気づき、モップごと跳ね上がった。
ダッシュでオーディオを止めに行く。
「ボス!おはようございます!気づかなくてすみません!音デカくてすみません!」
『いや全然。それより、ちょっと座れよ』
キョトンとした顔で座るチーフの前に、今さっきキヨさんからもらった銀行の封筒を置く。
「銀行の封筒ですね…うおっ!か、金だ!金です!」
銀行の封筒なんだから、中身は結構な確率で金だと思うが。
「これは…何かのお使いっすか?随分高いものを買いますね」
『いや違う。それは、お前にやる』
「へ?」
『ボーナスって事で』
「え!?いや!いやいやいやいやいや…」
残像しか見えないくらいのスピードで、左右にブルブルと首を振る。
「どど、どういう事すか!?」
『いいじゃん何でも。苦しゅうない。お主は頑張ってるから、褒美じゃ』
「げえっ!?いや、いやいや!!いや…」
やがて固まるチーフ。喜ぶどころか、表情が曇りはじめた。
『何?』
「ボス、まさか…その…」
『え?』
「退職金…的な」
『なんでそうなるんだよ』
「…辞めなくていいんですか?」
『辞めさせねえっつうの』
「ボ、ボボ、ボーナス」
『ボーナス』
「で…ででで、では…ありがたく」
まだ成人して二、三年のチーフには、些か額が大きかったか。
まあ、それは関係ない。こいつがこれくらいの金で有頂天になったり、不真面目になったりしない事は、俺が一番良く分かっている。
『あ、それと俺、明日から出勤が時間ギリギリになる日が増えるから、頼む』
「かしこまりました!」
翌日から“陰陽道”の修練が始まった。

 つづく

※このお話は、事実を元にしたフィクションです。
凋落の一途を辿る、陰陽師の生き残りたち。

突如現れた異分子は、救世主なのか、殲滅者なのか。