「鬱病」を克服された方の手記を読んでみて下さい。
***
ずっと、小さいころから、私は強くなりたかった。
親の権力やお金。姉の実績。
私を守ってきたそれらが、子供だった私には重たかった。
それらから逃れて、私は私でいたかった。
私は私として見られたかった。
.
だから強くなるんだと心に決めた。
いつか一人で生きていけるように。
自分の力だけで生きてやるんだ、と。
.
高校を卒業、都内の国立大に入学し、
念願の一人暮らしを始めた。
自由気ままな大学生活を送っても、
それでも解放された気にはなれなかった。
.
家族の知らない場所に引越しをした。
仕送りも拒んで勤労学生になった。
そこまでして家族と離れなければと思うほど、
きっと私は家族に愛されていた。守られていた。
そして家族を愛していた。
自分の力を感じられなくなるほど、家族を尊敬していた。
だから嫉妬をして、歪んでいた。
.
自分で働いて遊んで勉強をして
それで強くなれるんだと思っていた。
私はひとりで頑張って、
誰よりも優しくなるんだと思っていた。
.
けれど結局は、自分のことしか見えていなかった。
自己愛と自己嫌悪が絡まりあって、
自己犠牲のつもりが、周りの見えていない空回り。
自分が周りの助けを拒んでいるのに、
自分は誰のことも助けられないと、自分の存在価値を見失った。
.
不眠と自傷依存に悩まされるようになった。
もっと自立をして社会的に必要とされる人間になろうと、
大学院進学を諦めて就職した。
でも
うまく仕事ができない。うまく上司を頼れない。うまく同期と分かり合えない。
目指していた姿とは程遠い。
.
自分に自信が持てないから周りが怖かった。
怖がっていることを悟られたくなくて強がった結果、
失敗ばかり重なった。できない自分にただ苛立った。
眠れない。どんどん睡眠薬を増やした。
夜一睡もできず、仕事中に寝てしまう。
朝会社に行こうとしても、どうしても行けない日がでてきた。
精神科を受診すると鬱病だと言われた。
私に、精神的な病気に関する理解などなかった。
所詮は弱い人間のわがまま病だとそう思っていた。
死んでしまおうと思った。
.
私はただ、
強くなりたくて優しくなりたくてここまで頑張ってきたはずなのに、
こんな病気になってしまった。
頑張れない。他人を思いやれない。
それどころか当たり前のことすら満足にできず迷惑ばかりかけてしまう。
そんな自分を恥じた。許せなかった。
.
「それは病気だからいつか治る。
これからまだまだ楽しいことがいっぱいある。」
そんなこと言われても、もうどうでもよかった。
明るい未来なんていらない。
だってそこまで生きていくのが辛すぎる。
.
私は頑張ろうとした。でももうどうしてもできない。
だからもう、許してほしい。楽にさせて欲しいと願った。
薬をたくさん飲んで、もうろうとした中で、飛び降りようと思った。
でもできなかった。何度も何度も試みたけれど、
そのたびに誰かに助けられたり、自分で救急車を呼んだりして、
結局は生き延びた。
.
自殺未遂は家族にも知られた。…私のために泣いていた
会社を無断欠勤した。…それでも働くことを許された
友達のお世話になった。…変わらない態度でいてくれた
.
生きていくしかないんだと思った。
だから、会社を休職して精神科に入院した。
眠ることができるようになった二ヶ月後、退院し、復職した。
それから辛い毎日だった。
.
もう逃げ場がない。死のうとすることはできない。
精神科への入院歴 消えない傷痕 職場に感じる負い目
友達に感じる引け目 家族に感じる罪悪感
全てを抱えながらこれからの長い人生を
生き抜かなければならない そう思うと眩暈がした。
.
なんとか、生きた。
薬にも頼りつつ会社も休み休み周りにも無愛想で下を向きながらも
ただ、生きていた。
いつのまにか周りに助けられて生きることの暖かさを感じていた。
.
「誰のことも頼らずに、一人で解決してきた」
だなんて思いこみだったし、
そうすることが美徳ではなかったとそう思った。
.
誰だってどんなに強い人だって
一人で生きているわけではないと気付いた。
そして、最初から、私は私だった、と。
.
自分の弱さを認めながら私は生きた。
いつのまにか笑えるようになっていた
楽しめるようになっていた
.
そして今ここには、とても元気な私がいる
今は、弱音を吐くこともあれば、
自分から周りに助けを求めることもある。
それは昔の私の生き方より、よっぽど柔軟で崩れにくい。
“強く生きている”と言えるのかもしれない。
.
.
鬱病
それは自分の弱さに気付かずに、
ただ強くなろうとしていた私に降りかかった病気
.
私はその病気に罹ったことで
自分の弱さに気づき、弱い自分を受け入れた。
そして今、強く生きている。
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ずっと、小さいころから、私は強くなりたかった。
親の権力やお金。姉の実績。
私を守ってきたそれらが、子供だった私には重たかった。
それらから逃れて、私は私でいたかった。
私は私として見られたかった。
.
だから強くなるんだと心に決めた。
いつか一人で生きていけるように。
自分の力だけで生きてやるんだ、と。
.
高校を卒業、都内の国立大に入学し、
念願の一人暮らしを始めた。
自由気ままな大学生活を送っても、
それでも解放された気にはなれなかった。
.
家族の知らない場所に引越しをした。
仕送りも拒んで勤労学生になった。
そこまでして家族と離れなければと思うほど、
きっと私は家族に愛されていた。守られていた。
そして家族を愛していた。
自分の力を感じられなくなるほど、家族を尊敬していた。
だから嫉妬をして、歪んでいた。
.
自分で働いて遊んで勉強をして
それで強くなれるんだと思っていた。
私はひとりで頑張って、
誰よりも優しくなるんだと思っていた。
.
けれど結局は、自分のことしか見えていなかった。
自己愛と自己嫌悪が絡まりあって、
自己犠牲のつもりが、周りの見えていない空回り。
自分が周りの助けを拒んでいるのに、
自分は誰のことも助けられないと、自分の存在価値を見失った。
.
不眠と自傷依存に悩まされるようになった。
もっと自立をして社会的に必要とされる人間になろうと、
大学院進学を諦めて就職した。
でも
うまく仕事ができない。うまく上司を頼れない。うまく同期と分かり合えない。
目指していた姿とは程遠い。
.
自分に自信が持てないから周りが怖かった。
怖がっていることを悟られたくなくて強がった結果、
失敗ばかり重なった。できない自分にただ苛立った。
眠れない。どんどん睡眠薬を増やした。
夜一睡もできず、仕事中に寝てしまう。
朝会社に行こうとしても、どうしても行けない日がでてきた。
精神科を受診すると鬱病だと言われた。
私に、精神的な病気に関する理解などなかった。
所詮は弱い人間のわがまま病だとそう思っていた。
死んでしまおうと思った。
.
私はただ、
強くなりたくて優しくなりたくてここまで頑張ってきたはずなのに、
こんな病気になってしまった。
頑張れない。他人を思いやれない。
それどころか当たり前のことすら満足にできず迷惑ばかりかけてしまう。
そんな自分を恥じた。許せなかった。
.
「それは病気だからいつか治る。
これからまだまだ楽しいことがいっぱいある。」
そんなこと言われても、もうどうでもよかった。
明るい未来なんていらない。
だってそこまで生きていくのが辛すぎる。
.
私は頑張ろうとした。でももうどうしてもできない。
だからもう、許してほしい。楽にさせて欲しいと願った。
薬をたくさん飲んで、もうろうとした中で、飛び降りようと思った。
でもできなかった。何度も何度も試みたけれど、
そのたびに誰かに助けられたり、自分で救急車を呼んだりして、
結局は生き延びた。
.
自殺未遂は家族にも知られた。…私のために泣いていた
会社を無断欠勤した。…それでも働くことを許された
友達のお世話になった。…変わらない態度でいてくれた
.
生きていくしかないんだと思った。
だから、会社を休職して精神科に入院した。
眠ることができるようになった二ヶ月後、退院し、復職した。
それから辛い毎日だった。
.
もう逃げ場がない。死のうとすることはできない。
精神科への入院歴 消えない傷痕 職場に感じる負い目
友達に感じる引け目 家族に感じる罪悪感
全てを抱えながらこれからの長い人生を
生き抜かなければならない そう思うと眩暈がした。
.
なんとか、生きた。
薬にも頼りつつ会社も休み休み周りにも無愛想で下を向きながらも
ただ、生きていた。
いつのまにか周りに助けられて生きることの暖かさを感じていた。
.
「誰のことも頼らずに、一人で解決してきた」
だなんて思いこみだったし、
そうすることが美徳ではなかったとそう思った。
.
誰だってどんなに強い人だって
一人で生きているわけではないと気付いた。
そして、最初から、私は私だった、と。
.
自分の弱さを認めながら私は生きた。
いつのまにか笑えるようになっていた
楽しめるようになっていた
.
そして今ここには、とても元気な私がいる
今は、弱音を吐くこともあれば、
自分から周りに助けを求めることもある。
それは昔の私の生き方より、よっぽど柔軟で崩れにくい。
“強く生きている”と言えるのかもしれない。
.
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鬱病
それは自分の弱さに気付かずに、
ただ強くなろうとしていた私に降りかかった病気
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私はその病気に罹ったことで
自分の弱さに気づき、弱い自分を受け入れた。
そして今、強く生きている。