勘違い、とは
要するに
「一方向からしかものを観ていない」
ということ。
親の目線から
子供の目線から
夫の目線から
妻の目線から
上司の目線
部下の目線
つまり
「自分」の目線でしか物事を見ずに
「これが事実だ」と言ってること。
これが勘違いです。
別名「ものの見方が偏っている」ともいいます。
ものの見方が偏ることを
「偏見」と言いますね。
私は、優しくしてもらってない
私は、言いたいことを言ってない
なんていう、「未完の思い」も
勘違いです。
それは、そもそもの「認識」の時点で
勘違いが起っているということ。
つまり
「観たり」
「聴いたり」
「感じたり」
した、その時点で、
すでに個人差があり、
感覚の違いがあり
なにより「バイアス」がかかっていると
もう、事実は何一つそこにない。
そして、ひとは、自分が認識したことよりも
認識していない事実のほうが圧倒的に多いということです。
見たり聞いたりしたものが事実とは限らないということです。
だから、記憶はすべて「嘘八百」なのです。