「ほめ言葉を待つな」
いい大人になっても、他人の言葉を聞かないと
自分の行動やその結果の評価ができないのでは情けない。
しかし、私の知る限りでも、高い地位にある人が
他人の言葉の中に自分へのほめ言葉がないか捜す人もいる。
そして、自分をほめる人間を重視し、ほめない人間を
軽視したり、嫌ったりする。
こうした人は「ほめられ病」にかかっているのである。
お互いに、大人の心の中には、自分の行動や結果を厳しく
評価する判断尺度を持っているものである。
他人に言われないと安心できないという人は、
自己不確実という病気になっている。
他人の言葉を待つようになったら、
自己敗北の道を歩いていると思うことである。
ほめることは他人に、やる気や、勇気を出させる
結果となるからよいことである。
しかしあなたがほめ言葉の山の中に住みたいと思ったら、
やがて不幸がくる、と思っても欲しい。
早く、自分の行動、その結果に自信をもって
自己評価する癖をつけたいものである。
私たちは何かを考えたり、行動したりするときに、
たとえば「ほかのお母さんたちがそう言っていたから」
「上司の命令だから」「夫がそうしろと言ったから」など、
判断の基準を、自分ではないほかの人に
ゆだねてしまうことが多いものです。
このように、「他人のものさし」で物事を計っていると、
他人に依存するクセがついてしまい、その結果、
他人に振り回されたり、自分が本当はどうしたいのか、
ということがわからなくなってしまいます。
ですから、意識して
「私は○○だと思う。だからこうするんだ」とか、
「私は○○したい」というように、あえて「私は」という
主語を念頭において考えるクセをつけるのです。
そうすることで、自分の頭の中には、
「自分のものさし」が出来上がり、同時に自分の意志で、
積極的に前に進もうという強さが生まれます。
どんなにつらくても自分の弱点を正直に認めることだ。
もっとも弱いことというのは、
あまりやりたがらないことである場合が多い。
できるだけ避けようとし、ますますそれに弱くなる。
そのうち、あなたは、あれこれ理由付けや弁明をはじめる。
もしも成長したいなら、
建設的な批評には喜んで耳を貸さなければならない。
たいていの人に死角があり、自分の弱点に気づかない。
弱点を指摘されると相手と議論になることもある。
どうしても自己弁護し、言い訳をしようとするのだ。
あなたの分野で誰にも引けを取りたくないなら、
仕事ぶりをたえず改善するために他人からの
建設的な意見をもらうべきである。
虚栄心や自尊心が傷つくのを怖れて、
学ばなければならないことを学びそこねてはならない。
<ことば探し>より。
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負けろ、負けろ、負けろ、
それがどうした?
