相手が求めてないときに一方的に言っても
分かり合えることは無い。
今のcosmoの心情に近い言葉で
この日記を書かせて頂きますね。
・・・人を見て法を説け・・・
人を諭(さと)す場合は、相手に合わせて仏法を説け、
という、お釈迦様の言葉です。
自分のように、人に助言をするときに、
自分の意見を述べるだけならまだしも、
助言どころか意見を押し付けたりしちゃいます。
そんな自分本位の考え方を戒めた言葉であります。
まず最初に
人を見て法を説けというように、
同じことを言ってもその効果が人によって違うということです。
つまり、相手が、初めから利益を求めたり、
裏切りを予定しているような場合は、
下手に好意を示して努力すれば、
逆手に取られてしまうのは当然です。
また、意志が弱く、依頼心の強い人に情けをかければ、
「情けが仇」になることが多い訳です。
そして、
相手に伝える方法や手投が誤っているときは、
本人は人のためになると思っているのに、
逆に恨まれる結果に終わったりします。
あまり、押し付けがましい態度で恩をきせたり、
他人にも分かるようなあからさまな方法は、
情けをかけられた方の反発を買うことは必至です。
ほんとうに相手が欲している・必要としてることを、
あっさりと、他人に知れないような形で説くいう配慮が必要なんですね。
また、そんなタイミングもいりますね。
最後に
基本則の一つである「己・自分を知る」ということかな。
お人よしと言われるような、
いわゆる好人物として世に通っているような人の場合は、
悲しいけど・・
「おせっかい」とか「またあの人の趣味が始まった」
ぐらいに受け取られ、その人の真意は伝わりません。
いろんな人がいる中で、
全ての人が理解できるような説明方法を持っていなければ、
人に教えを説く資格はないだろうか?
そんなキャパシティは持ち合わせてはいないのが現実です。
おいらまだ、人を諭すだけの、器じゃなかったんだね。
もう少しキャパを広げて、法を説けるような人になるまでは・・・
そう、今のおいらには、まだまだ出来ないんだよね。
それをわかってるつもりで今まで言ってたよ。
それが出来るまで、
お節介はやめたほうがいいのかな。
自分も相手も傷ついて・・・
情けが仇も嫌だし・・・。
相手をしっかり見ること・・・
相手が求めてないときに一方的に言っても
分かり合えることは無いってことなのかな?。
・・・情は人の為ならず ・・・
他人のためになると思われることを、
その人の心情になっていろいろめんどうをみてあげることは、
その人のためになるだけではなく、
人間関係を良好にすることになり、
結局は自分のためになるのだという教えでした。。
自分はこの言葉を逆に解釈してて、
他人の世話をやいたり、気を使ってあげると、
その人を甘やかしてしまうから、結局はためにならない・・
と、理解してました。
つまり、情けをかけると逆効果となってしまって、
その人のためにならない、
したがって自分のためにもならない、
というように受け取っていました。
情けについての言葉はいろいろありますが
けっこう矛盾と思われることばがありますので
しっかり理解して使いたいですね。
説く にしても 情 にしても
相手に伝え方や伝える環境により
情けが仇 になる。
これが今日の学びでした。
ありがとうございました。