宇宙的記憶の回顧録・序章
みなさん
ご無沙汰しています😊🌈
顔が見えない事が、リアルなのか〜?と変なこだわりで段々とFacebook、インスタへと移行、最近アメブロにはすっかり横着投稿で😅
投稿の仕方ままならず
でも、ふと、急な思いつきで
この回顧録を書こうかなぁと
かきだしたら、
なんと、三千文字くらい書いた宇宙の記憶は消え
再トライ!の今です
私が、今に至るまで
幼少期から、大きな節目、311以降本格的に思い出した、回顧録を
今やっと、今の感覚で解説できるタームに入った感覚です😊💖
もし、みなさんが少しでも
宇宙の記憶に興味がり
すり合わせができる材料になればと😊
そんな感覚で
付き合いくださればうれしいです💖
それは、4歳くらいの頃
古くからある農家の叔母の敷地に7歳くらいまで家族で住んでいた幼少期
畑の側道に母に連れられ
歩いていました
なんと、何気なく見上げた坂の上に
燃え盛るオレンジの巨大な光を見ました
それは、きっと夕陽なんだと無理にでも思いたくなるくらい
なぜか、見ちゃいかないものを見てしまった!
そんな感覚でした
母と答え合わせをするくらいしか思いつかない私
今思えば、
なんでその記憶だけ残したのよー!
って、宇宙船のクルーに、聞きたいくらいなのですが笑❣️
今となっては、せっかく前の記憶が薄れてきたのに
パニックにならないための配慮だったのだと感じています
地球に馴染まなきゃいかないからなぁ
やぁ、地球がこれほど大変だとは
まだその頃は知らず
野原を駆け回っていました笑!
今思えば、これが始まりであり
終わり、最後の一コマのシーンだったのだと分かります😊
私が育った
叔母の土地は、
叔母が伏見稲荷様が大好きで
許可を得て、鳥居を建て
御祈祷し
お祀りしてある神様が
いつもその一帯を見守ってくださってる様でした
私も、知らず知らずのうちに
手を合わせては、なぜかとても
優しい、懐かしい気持ちになるのを覚えています
今でも、何かあると
そこへ行き
鳥居をくぐったら
波動調整されるのがわかるのです
そして、それと同時に
幼い私は、
本当に帰る場所がちゃんとあるんだと
心の中でかんじていたのでした
鳥居をくぐったら
そこは、シップとの待ち合わせスポットなのだと
今は、理解できています😊
そんな場が、今でもちゃんと残されてるのが
奇跡!
そして、忘れてならないのは
小さな頃から
脳内で響き渡る声との対話
つまりは
私は、幼い頃からもう1人のハイヤーセルフ
自分と対話を重ねてきました
この声の主は
みんなにもあるものだと思っていたのは
7歳まで
学校のお友達に、声が聞こえてきて
会話してるんだよね、あなたもでしょ?
と聞いたことがあり
何それ?と言われて
初めて自分は、今で言う不思議ちゃんなんだと
自覚し始めた頃でした
ただ、
いつも、もう1人の自分の答えは、迷いがなく
時には、指導的で、時には本当に優しく良き理解者でありました
ただ、私がずーっと考えてた
「何のために生まれ、ここに生きてるか?」
の問いには、ダンマリ!
「自分で答えを出すのですよ」
この答えだけでした
この頃、その対話の声は、時々
割って入ってくる仙人の様な声や女神像を彷彿させる声など、ステレオ放送の様でした
頭の中は大忙し
今思えば、とにかく沢山の存在に、生きることを励まされてるかの様だったんだと感謝の気持ちになります
それと同時に
外から見える私は
無表情、何考えてるかわからない子
とよく大人たちには言われていました
でも、幼いながらに
大人たちの心の声と、言葉に出す事は食い違っていて
信じられないと言う不信感も募っていました
唯一、腹と声が一致してたのが
母と叔母の存在
まだ地球にうまく馴染めない私は
ひたすら、人の感情と行動を表情、目から読みとり
どうしたら人は、どう動くのか?
をひたすらに学び
そのあと、母に実験しては
脳内データ化していって
感情と言うセンサーの使い方を
外で使えるか?を試してきた感覚があります
リアクション、フィードバックの繰り返し
あ、まなべるものなんだね、と納得できたのは
高1の頃
この頃は、心理学の本も同時に
良い教師でした👨🏫
常に、生きる事を父に否定され続けた幼少期は
自分とは、真逆の極を知る大切な学びで
この地球に地に足つける方法でもありました
そんな幼少期から
現実的に生きるためにどんな事をしてきたか‥‥
つづく‥
なが〜かなりましたが、私が生まれ育った
その頃の記憶と今思えばの辻褄合わせ
こんな風に、ゆっくりと書いて行こうと思います😊🌈✨
また、気長に読んでいただけたらうれしいです😊
ありがとう
愛と感謝を込めて💖
どみりんこと、みどりん