Cosmic Dance -10ページ目

セラピストとして、誰かの役に立ちたい、と思ってます。



でも、それは自己満足のためだと、誰かに感謝されたいからだと、私は思ってるの。




誰かを助けたいとか、役に立ちたいとか、癒したい、とか言う気持ちは

もしかすると、一般的には良いこととされているのかもしれないし

セラピストなんかを目指す動機にはなるのかもしれないけれど

それが、自己満足なんだって自覚することは大事なんじゃないかなって思う。


自己満足って分かってなかったら

思いあがり、傲慢になってしまうんじゃないかなあ。



癒してあげます、助けてあげます

ってどう考えても上から目線だ。



自分は脇によけて、出来るだけのことをする。

それで相手の方に喜んでもらえたらラッキーだ。

もちろん喜んでもらえるように努力はするし、ベストを尽くすけれど

それは「ワタシ」のおかげじゃない。


そのヒトがもともと持っているチカラのおかげだ。



ヒトって自分が思っているよりも強いし

自分で必要なことは自分で気が付いて変化する力を持っているんだよ。



何かをしてあげたい、ってセラピストを職業としているヒトが

口に出してしまったら、もうそれはおこがましいんじゃないか。

実際のところ、そのヒトになり変わって何かをしてあげることなんて

誰にも出来ない。


出来るのはただ、自分が出来ることにベストを尽くすこと。




いつも謙虚に、そしてありのままの私で心を開いて

ここにいること。


私にはそれしか出来ないんだって思う。


暑いー。


近頃、地球の代謝が上がってる気がするよー。

代謝が上がると不要なものが排泄されたりするんだよん。

人間も排泄されちゃうんじゃないか??笑




今日、街でポイ捨てしているおっさんを見た。


たまーに見るけどたいていおっさんだ。

団塊の世代は多くのものを投げ捨てて生きている気がするね。


使い捨ての時代を生きてきた感じ。

使い捨てするヒトは(偏見かもしれないけど)

自分の命も使い捨てなんじゃないか?

そんなポイ捨てをしてしまうヒトは

それが当たり前で、疑問を持ったことなどないんだろうな。




そんで、最近、いろんな方からお手紙を頂くことが多くなった。

メールのある今の時代、お手紙ってこんなに嬉しかったっけ

と、直筆の温かみを感じる。(暑いんだけどさ・笑)


それは、カウンセリングやチャネリング(?)をした人からなんだけど

その後の気持ちや環境の変化を書いて下さっていて

読むと、本当に嬉しくなっちゃうんだよね。



お礼を書いてあっても、結局頑張っているのはそのヒトで

私はなんにもしていないんだけど

その近況を聞くと、頑張っている姿が目に浮かんで

なんというか、同志というか、そんな感じで感動してしまう。



なので、私もお手紙を、と思うのだけど

悪筆で困った・・・・・・。


もうちょっとキレイに文字が書けたらなあ。


字はその人を現すって言うじゃない??




私はかなりいけてない人なんだろうと思うわ。笑

ボランティア・・・・何回言っても聞いても書いても読んでも


うえーっぷ!(゚д゚;)



ってなるんです。笑


日本語で「奉仕」って言うのも頂けない。

なんだか偽善者っぽく感じてしまうんだよね。


何か、別の言い方はないものか。




さて、そんな私ですけれども

今年からボランティア活動をしているのでございます。


活動内容は、疾患をお持ちの方のためのストレスケアの講座。

肉体労働ではないけど、知識をみなさんとシェアするということでのボランティア。

材料費だけは頂きますが、無報酬。



始める前は嫌々だったけれど、いったんやってみると

思っていたほど嫌いなことではないようで


むしろ、自分の経験や知識が誰かの役に立つというのは

有償無償問わず嬉しいことだということが分かったりして

地道に続けていこうと思ってるの。




自分がこれまで得た知識や経験に

ちゃんと価値があると思っているからこそ

無償でも平気で出来る気がするのは

たぶん、正しいんだと思う。


金銭とは別の価値というものが最近ようやく実感として分かったきた。



そして、医療関係者では実際問題十分にはケア出来ない領域を

これからの私はしていきたいと思ってるの。


これをヒューマンケアとかスピリチュアルケアとかストレスケアとか

なんとよんでも良いのだけど

私はたいそうな感じがしないストレスケアとよびたいと思うんだよね。


そういうのって、きっと、ヒト対ヒトのつながりにしかないケアで

だからこそ、そのままの私で体当たりしてみたいと思ってる。

ケアって一方通行ではなくて、相互作用なんだよね。

お互いにケアされるもの。

そしてこれは、人間には実はとても必要なものなんだろうって

私の奥の方がじりじりと感じている。



ああ、こうやって文字にしてると

だんだんと気持ちが固まってくるから不思議。


この先どうなるかは分からないけど

私のペースと私のやり方で続けていこう。




しかし、ボランティアっていう名前ヤダな。


今年初のスイカがなったので♪

割ってみたら黄色だったーーー♪♪♪



黄色って、なんだか元気になる色です。



思えば、もう5年くらい前からオーラみたいなものが

見えるようになっているのだけど。

黄色のきれいな色の人も時々いるの。


意味とかは分からないけど、ヒトの色って結構変わるんだよね。

私はたぶん安定しているほうだと思うのだけど

ずっと明るいグリーンだったのに最近はちょっと

紺色というかなすび色みたいなのがちょっと入ってるよ。

グラデーションになっていてきれいなんだよねえ。



少し前、桃色のヒトがいて、そのヒトがすごく可愛くて

付いて行きそうになったり。爆




意味が分からないから楽しめると思うんだよね。


パタパタクンも時々寝るときに見えたり。




くどいですが、意味とかは全く分かりません。

日々是精進、どこからの言葉か分からない無学な私。笑



こないだ、お仕事で網膜色素変性症の人たちと話す機会があったの。

これは遺伝性の進行性の疾患で、たぶん、いずれ

視力がすごく低下して見えなくなるんだと思う。



この人たちもとても温かくて優しい雰囲気だった。


病気、なのに?

病気、だから?




分からないけど、難病と言われる病気に罹っている人たちに会うと感じるのは

自然体な明るさと優しさなんだよね。



病気って不幸なんだろうか。

不幸って本当に不幸なんだろうか。



どんな出来事も、そのヒトの捉え方感じ方次第で変わる。



世界はあなたの見たままにある。



どんな見方をするかは自由。




ただそこにいるだけで、いろんな音や色や感触やにおいが

数限りなく通り過ぎていっているけど

その中からピックアップしているのは自分自身。


感覚ですら自分で選んでいるんだと思う。



どのように生きて死ぬか、ってすごく自由度が高い。




自分で選べる、って実はとても信頼されてるってことなんだと

気づくことが出来た日。




日々一瞬一瞬を選びとっている、日々精進なんだなー。