こんばんはキラキラMaruです。

フィギュアスケート、パッとテレビをつけたら最終組で、そのままがっつり見てしまいました〜輝きやきらめきが一杯で、素敵でしたねおねがいラブラブ
 


 
ところで
 去年の年末辺りから、
出来上がるワークが、統合、自己受容に関するものばかり。
 
なぜだろう?と考えてみると、
 
統合に関しては、
まとめてワークするとか、
一部分だけじゃなくて、全体にとか満遍なくが
私が好きだからも大きいのですが、
 
やはり2元性からは卒業して、
全ての立ち位置から両極を含む現れを生きる。
 
その時期が来ているからなんだろうなあと思います。
 
 
 
人は、<自分に ジャッジ=あれは良い、これは悪い> を
行なっているうちは、2極を行ったり来たりしています。
 
 
 
たとえば、
 
仕事がテキパキできない↓
 
どうして自分はこうなんだろう↓
 
もっと頑張らなくては↓
 
その頑張りで出来るようになる部分もあります。
 
だけど出来ないところが気になってしまう↓
 
出来ないひとのことを責めてしまう↓
(=出来ない自分も責めてしまう)
 
これはグルグルと続いていったりします。
 
 
ここに自己受容が入ると
 
仕事がテキパキ出来ない→
 
あーテキパキ出来ないなあ→
 
出来ないなあ→
 
終わりニコニコ
 
 
得意な人が助けてくれたり、
ゆっくりなペースでそもそも良かったり、
出来なくてもとくに責められたりしなかったり、
出来るようにトライしたり、色んな展開の仕方が起きて来ます。
 
出来ないひとにイライラしない。→
 
まあみんな苦手なことあるよねくらいの感じです。→
 
自分を責めなくなるので、人からも責められにくくなったり、日々の出来事に判断、裁きのフィルターをかけて膨らますのも減って来ます。
 
そうしているうちに、
落ち込みや判断、責めに使っていたエネルギーを、ニュートラルから使いたいことに使うようになっていけます。
 
 
反復横飛びで、
片方の端から反対側に跳ぶのと、
中央から端に飛ぶのでは、中央のほうが楽ですよね。
 
 
出来ない← →出来るの両極を行ったりきたりか
 
中央から、様々な可能性にアクセスするのか
こちらは縦横無尽、自由です。
 
 
 
 
そんな理由から、
さくっと基本のニュートラルに帰りましょうということで、
こちらの錬金術ワークを創りました。↓
(クリックで詳しい説明に飛びます)

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頑張り屋さんなのに自分を認められない
自分は出来ない、ダメだという思い癖のある方、


愛と喜びのほうへ踏み出してみてくださいね。
そのままのあなたで大丈夫です!


今日もお読みくださり、ありがとうございました
ラブラブ