誤読は宝物――AI時代に必要な「自分を知る技術」
年明け早々、私は「誤読」に救われた。
と言うと、少し奇妙に聞こえるかもしれない。
誤読とは普通、直すべきもの、避けるべきミスとして扱われるからだ。
でもその日、LINE配信で起きた小さな出来事を見て、私ははっきりと思った。
人は、期待しているものを読む。
漢字一文字リーディングのサンプル画像を、
「こういう形式で届きます」という説明のつもりで送っただけだった。
それなのに数名から、
「ありがとうございます。私の今年の一文字は『出』なんですね」
という感想が届いた。
これはサンプル画像ですよ、という訂正文を送ったあともそれでもなお「自分へのメッセージ」だと受け取っていた人がいた。
そのとき私が感じたのは呆れでも困惑でもなかった。
これはその人が心待ちにしていたものが、
そのまま出てきた瞬間だ。
そう感じたのだ。
誤読は、勘違いではある。
でも同時に、極めて正直だ。
何を期待しているのか。
どんな言葉自分に向けて使っているのか。
そのすべてが「読み違い」という形で、あまりにも素直に現れる。
そして私は思った。
AIが正確さと効率を極めていく時代に、
この“誤読”こそが人間が人間である証なのではないか、と。
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ゾロ目を見たら、本当にラッキーなのか
スピリチュアルに関心がある人なら、一度は経験があるだろう。時計を見たら「1717」。車のナンバーがゾロ目。花という言葉を一日に何度も目にする。
「これは私へのメッセージだ!」
そう思った瞬間、多くの人は自動的にポジティブ変換をする。
- 777 → ラッキーセブン!
- 花 → 開花のサイン!
- 繰り返し見る → 天使のメッセージ!
もちろん、それで喜べるなら悪いことではない。でもせっかくメッセージが来ているのに、全部「ラッキー」で処理してしまうのはもったいなくないだろうか。
7という数字は、3と4の組み合わせだ。自分のベースを固める時期かもしれないし、誰かと協力する必要があるという警告かもしれない。
花が開くには、その直前に最も栄養が必要だ。「今、栄養を蓄える時期ですよ」というメッセージかもしれない。
もしメッセージを受け取るなら、もっと丁寧に受け取ってみたらどうだろう。
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前のめり誤読が起きる理由
YouTubeでの対談相手が、こんな話をしてくれた。
「グループでみんなが盛り上がっている時、つい『すごいサインだね!』って単純化して伝えてしまう。みんな疲れているから、いい悪いで判断できる方が楽なんですよね」
ああ、なるほどと思った。
現代人は、江戸時代の人の何十倍、何千倍もの情報を日々処理している。その中で「これは良いこと・悪いこと」と単純化するだけで、脳はもうパンパンだ。
だから、ゾロ目=ラッキーという単純な記号に飛びつきたくなる。
でも、それで止まってしまうと、せっかくの直感やメッセージの奥行きが見えなくなってしまう。
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AI時代だからこそ、誤読とバイアスが価値になる
ここで話は大きく展開する。
もしAIが記憶力、情報処理能力、効率性で人間を圧倒するなら――人間に残されたものは何か。
それは、好き嫌い、ミス、偏り、そして誤読だ。
AIは過去のデータから学習する「保守的な老人」だ。クリエイティブな提案や、新しい視点を生み出す力は、まだ人間の方が優れている。そして、その創造性の源泉にあるのが「バイアス」や「エラー」なのだ。
誤読は、その人のニーズを反映している。
- 「これは私へのメッセージだ」と受け取る人は、承認を求めている。
- 「どうせダメだと言われる」と誤読する人は、傷つく前に防御している。
- 「みんな同じでしょ」と思う人は、集団に安心を求めている。
一つのバイアスだけなら「偏見」だが、50個、100個のバイアスを集めたら、それはその人だけの独自の視点になる。
バナナ味のキャンディ、メロン味のキャンディ、抹茶味のキャンディ。
どれも「砂糖が多すぎる」「人工的すぎる」と言われるかもしれない。でも100種類の偏りが集まったら、それは「バナナ味」という一つの魅力になる。
あなたがバナナ味なのか、抹茶味なのか。それを知ることが、これからの時代で最も重要な「自分を知る技術」になる。
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賢さの定義も、人それぞれ違う
対談の中で、私はこんな質問をしてみた。
「賢い人って、どんな人を思い浮かべますか?」
相手は即座に「IQが高い若い男性」と答えた。
私は「会議で多様な視点を出し合う人たち」をイメージした。
別の人なら「賢者のような老婆」かもしれないし、「ドラえもん」や「ChatGPT」を思い浮かべる人もいるだろう。
同じ「賢い」という言葉でも、人によってイメージがまるで違う。
もし三人が集まって「賢い人材を紹介してほしい」と言ったら、紹介される人物は全く異なるはずだ。
- IQが高い若者
- 深い経験を持つ老婆
- AIのような論理的存在
どれも「賢い」。でも質が違う。
自分の中の「賢さ」がどんな形をしているか知ることで、自分が何を求めているかが見えてくる。
そしてこれは「賢さ」だけではない。
「成功」「導き」「癒し」「正しさ」――私たちが日常的に使う言葉の一つ一つに、実は固有のイメージが張り付いている。
自分の中の定義を知らないまま、誰かの「成功」を追いかけても、多分どこかでズレが生じる。
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「ただ在る」ことの救い
対談の最後、私たちは短い瞑想をした。
相手は「河原の草むらに佇む人」のイメージを体験し、こう語った。
「自然の中で一人でいたら、『これからどうしよう』『私は嫌われているのかな』とか考えてしまう。でも、安心できる空間の中で瞑想する方が、心が解放された」
「ただ在る」という言葉は、救いだ。
瞑想というと、多くの人は「雑念を消さなければ」「正しくやらなければ」と構えてしまう。
でも、雑念があってもいい。寝てもいい。分からなくてもいい。
そこにあなたが在るだけで、それは今ここへの参加だ。
前のめりで誤読してしまうのも、単純化してしまうのも、全部「あなた」だ。
それを否定するのではなく、「ああ、私ってこういう風に受け取るんだな」と観察してみる。
その観察が、自分を知る第一歩になる。
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これからの時代、必要なのは「自分の取扱説明書」
情報が増え、AIが進化し、理想のライフスタイルが次々と提示される時代。
でも、あなたはバナナ味なのか、抹茶味なのか。
それを知らずに「今、フラペチーノが流行っているから」と追いかけても、多分しんどくなる。
自分の誤読パターン。
自分のバイアス。
自分の好き嫌い。
自分が「賢い」と思う形。
それを知ることが、自分の取扱説明書を作ることになる。
そして、AIやテクノロジーに任せられることは任せて、自分にしかできない「偏り」や「ミス」を楽しむ。
岩石みたいにゆっくり考える人がいてもいい。
小動物みたいにせわしなく動く人がいてもいい。
均一化の時代は終わり、独自性の時代が来る。
記憶力が悪い、ポンコツな部分がある――それを自覚していれば、AIにサポートを頼める。でも自覚がなければ、お願いすらできない。
だから、自分を知ることが、これから最も実用的なスキルになる。
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誤読を、宝物として受け取る
最後に、もう一度。
誤読は、あなたの期待を教えてくれる。
サンプル画像を「自分へのメッセージ」だと受け取った人たちは、きっと心待ちにしていたのだろう。自分に向けられた言葉を。
それは愛おしい誤読だ。
777を見て「ラッキー!」と喜ぶのも、その人の中にある「運が良くなりたい」という願いの表れだ。
誤読を否定するのではなく、丁寧に見てみる。
「ああ、私はこういうものを期待しているんだな」
「こういう風に物事を受け取りたいんだな」
それが分かるだけで、自分がもっとクリアに見えてくる。
これからの時代に必要なのは、正しさではない。
自分らしさだ。
そして、その自分らしさは、誤読の中にこそ隠れている。
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あなたは、何を誤読しているだろうか。
ここまで読んでくださったあなたは、もう気づいているかもしれません。
誤読は「直すもの」ではない。
でも同時に、「放っておいていいもの」でもない。
感性がある人ほど、
誤読を才能として使える人と、
誤読に引きずられてしまう人に分かれていきます。
その違いは、センスでも能力でもありません。
「自分の誤読を、どう扱っているか」
ただ、それだけです。
ここから先では、
- 誤読を「直感」と混同しないための視点
これは直感なのか、防衛なのか、承認欲求なのか。
誤読をどう見分け、どう採用するか。
- 自分の誤読パターンを、価値に変える方法
抽象論ではなく、観察ポイントの具体的な提示。
自分が無意識に「安心」を感じる解釈の癖をどう見つけるか。
- スピリチュアルを扱う人ほど知っておきたい「前向き解釈の落とし穴」
なぜ「前向き解釈」だけだと感覚が鈍るのか。
誤読を放置すると起きる弊害とは。
- そして、自分だけの「取扱説明書」を組み立てていくための具体的なプロセス
これらを、私自身の実体験と、現場で見てきたケースを交えながら書いていきます。
正解を与えるための文章ではありません。
あなたが自分自身を、もう一段深く信頼できるようになるための文章です。
もしあなたが、
- スピリチュアルを「軽く扱いたくない人」
- 自分の感性を、きちんと地に足のついた形で使いたい人
- これからの時代に、人間であることを仕事にしたい人
なら、この先はきっと、役に立つはずです。
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