昔、インドで、ある巡礼の地に沢山の人々が集ろうとしたときのこと。
それらの人々に加わって、その長い道のりを歩くことができない非常に徳の高い老人がいた。
彼は道の途中に小さな庵(いおり)を作って、休んでいた。
巡礼者はみな、その庵の前を通っていったので、老人は巡礼に行くすべての人々を見ることができた。
あるとき老人は、奇妙な姿をしたもの-それは人間ではなかった-が巡礼地に向かっているのを見た。

老人はそのものを呼び止めて、言った。
「もしもし、あなたは誰ですか?変な格好をしてますね。あなたはどこへ行くのですか?」
「私は巡礼に行くのです」
「ほう、あなたの目的はなんですか」
「はい、私には与えられた仕事があるのです」
「どんな仕事ですか。あなたの名前は?」
「私の名前はミスター・コレラです」
「ミスター・コレラですって?どうしてあなたが巡礼に行くのです?」
「私には、地上から500人の人間の命を消すという仕事が割り当てられてまして。私は自分の使命を果たしにいくのです」
「おぉ、そうですか。それが神の思し召しなら、あなたはそれをしなければいけませんね。人々はそこへ行くと衛生観念を失くしてしまいますから、あなたは十分に目的を果たせるでしょう」

巡礼が終わったあと、およそ1500人の人々がコレラで死んだ、というニュースが伝わった。
ニュースを聞いて、老人は怪訝(けげん)に思った。
「神の使者を名乗る者が、なぜ嘘をつくのだろう?1500人の命を奪うのだと始めから言えばいいのに。500人だけ、と言っておきながら1000人も多くの命を奪った。彼をつかまえて、そこのところを問いたださなくては」

それで老人は、彼を見逃さないように注意していた。2、3日すると、思ったとおりミスター・コレラが通りかかった。老人はすぐに彼に近づいて、「ちょっと、すみませんがー」と声をかけた。

「あぁ、あなたですね。なぜあなたが私を呼び止めたのか、わかりますよ。でも私は私の仕事をしただけなのです。私は500人の命を奪っただけです」
「よくもそんなことが言えますね。死んだのは1500人ではありませんか」
「申し上げておきますが、それは私のあとからついてきた、私の友達の仕業なのです」
「あなたの友達って誰ですか?」
「ミスター・"恐怖〟です。私が奪ったのは500人の命だけです。ところが人々は、コレラが発生したと聞き、コレラの恐怖そのものが、あとの1000人の命を奪ったのです。私にはどうしようもないではありませんか」


(自己を知るヨーガ・スワミ・サッチャナンダ講話集より抜粋)


なるほど~。実際の病気そのものよりも、病気への恐怖が本当の病気を招いてしまうという喩え話ですね。これはいつの時代も、どこの国でもあてはまる、私たち人間の心の法則のようです。

最近、新型インフルエンザの流行で、TVをつける度、そのニュースだらけでした。
マスクは売れきれ続出、連日お店の前でマスクを買うための長蛇の列ができていましたね。
予防は大切ですが、病気や流行の症状を必要以上に怖がることはないのです。
昔から『病は気から』と、言いますものね。

病気に限らず、なにか新しいことに挑戦しようというとき、自分にとってちょっとハイレベルかもという事に挑戦するとき、苦手なことをするとき、たいがい恐れや不安は生じます。
そういうときこそ、『失敗を恐れてはいけないのです』
恐れや不安に打ち克つように常に心のトレーニングをしていきましょうねラブラブ

Mitsue Gough