お彼岸で
空の上のことを
想うことが多いので
ひなちゃんのことを書いてみます。


ひなちゃんは
いとこの家にいた
柴犬の女の子です。
わたしの家と近かったので
よく会いに行き
散歩もときどき
させてもらっていました。


今年1月に高齢のため
空へ還りました。
晩年は認知症を患いましたが
それ以前は大きな病気や怪我もなく
18歳まで立派に長生きしました。


よく一緒に散歩した場所を
歩いていると
刈り取った草の山から
ひなちゃんみたいな匂いがしてきて
とても懐かしい気持ちになりました。

若干、なまぐさい匂いですが(笑)


その場所を歩くときは
リードを力強く引っ張られる感触
ひなちゃんの興奮気味な息の音
爪が伸びちゃっているときの足音など
ふと思い出すときがあったり

実際に側に居るような感覚に
なったりするときがあります。


ひなちゃんが
いとこの家の子になったとき
わたしは高校1年生でした。
当時、家にこもりがちなわたしを
気分転換にと叔母が
お出かけに誘ってくれることが
よくありました。

ある春の休日に
犬が好きないとことわたしは
叔母の車でペットショップに
犬を眺めに連れてってもらいました。

そこで、売れ残っていて
やや大きめな子犬の
ひなちゃんと出会いました。


試しにと抱っこさせてもらったら
いとこがひしと抱いたまま
離さなかったので
連れて帰ることになりました。


うろ覚えですが
写真などを見ると当時のことが
ぽつぽつと思い出されてきます。


あまり吠えなくて
トイレもそのうちに覚え
おりこうさんかと思いきや
名前を呼んでも
一切寄って来ないところは
大人になってからも変わらずでした。

性格としては
とても控えめで優しかったです。


小さかった頃は
外を全く歩けませんでした。
散歩に連れ出しても
座り込んで
困ったような顔をしていました。
生まれてから半年程まで
ペットショップのケージの中で
暮らしていたようなので
散歩の習慣が
なかったのかもしれません。


でも、徐々に散歩の楽しさが
感じられるようになってきたことが
歩いているときの表情や
リードを見せたときの
はしゃぎ方などから
見て取れるようになりました。

そのうちに
どうにかして家から勝手に出て
自分ひとりで
散歩に行ってしまうくらいでした。

↑つまりは脱走常習犯(笑)

わたしもよく捜索に駆り出され
10回以上は出動しました。


大体はいつもの散歩コースで
ひとりで楽しそ〜うに
歩いているところを発見しました。

呼んでも来ないため
見守りながらついて歩きました。

足が速いから
追いかけて捕まえることは難しく、
そうして気長に
ついて歩いていくと
散歩コース以外には行かないため
家まで帰り着くというパターンでした。


自由を謳歌しているという雰囲気で
のひのびと開放的に
ひとり歩きまわる
ひなちゃんを見ているのは
無事に見つかった安堵感もあり
結構楽しい気分でした。


ですが、脱走でヒヤリとしたことも
2度ありました。


1度目は夜に脱走してしまい
なかなか見つからなかったとき。


散歩コースを親戚総出で
見てまわるも見つからず。

捜索範囲を広げようかと
携帯電話で相談していたら
わたしの足元から
「クゥ〜〜ン…」
と、か細い声が聞こえたのです。


懐中電灯で照らすと
田んぼの排水のための水路に
ずぶ濡れのひなちゃんが
立っていました。

「いたーー!!!」
と、思わず叫びました。

すぐに連絡を取り合った親戚達が
水路のところに集まりました。

みんなの懐中電灯で
明るく照らしてもらってから
1メートルほど下の水路に降りていき
ひなちゃんを道に持ち上げました。


幸い怪我は見当たらず
濡れていたけれど夏場だったので
シャンプーすれば問題なさそうでした。
でも、その水路は
先がすぐ川に流れ込むようになっていて
もし落ちていたら
溺れる可能性もありました。


ひなちゃんが
その場に留まってくれていて
本当によかったと思いました。
普段はめったに鳴かないのに
声を出して教えてくれたことも
ほんとうによかったです。


2度目のヒヤリは
丸一日経っても
帰ってこなかったとき。

脱走を何度もやらかして
皆も慣れてきてしまい
ひとりで帰ってくるだろうと
楽観的に考えて待っていても
翌日も帰らず…。

さすがに心配になってきて
最悪の場合なども考え始めたとき
ふと、
保健所にいるのでは?
と思い付いて
ウェブサイトを見てみました。

このときもまた
「いたーー!!!」
と、パソコンの前で
わたしは叫ぶこととなりました。

情報欄に
・柴犬
・10〜12歳
・○月○日○時頃
・○○地区で収容
・ピンクの首輪

などの記載とともに
ヘラヘラした笑顔の
犯人(ひなちゃん)の写真が
載っていました。

叔父と叔母は仕事中
いとこは学校だったので
不登校で家にいたわたしと
仕事が休みだった父と
なぜか付いて来た祖父の3人で
脱走犯を車で迎えに行きました。


当時の保健所の環境は
あまりきれいではなく
犬たちのいる施設内は暗く
ツンと鼻を突く臭いがしました。
(現在はきれいな設備になったようです)


ひなちゃんと再会できた喜びで
抱きしめてナデナデしたかったですが
そこの臭いが染み付いていて
これは帰って洗ってからでないと
愛せないわ…と思いました。


飼い犬を収容されると
飼い主は始末書を
書かなくてはいけないということも
初めて知りました。
飼い主じゃないけど父が代わりに
結構な時間をかけて書きました。


わたしと祖父は
めっっちゃめちゃくさい
ひなちゃんを載せた車の中で
雨だから仕方なく窓を閉めて
父を待ちました。

そのときのひなちゃんときたら
同部屋で収容されていた
ゴールデンレトリバーと
遊んだのが楽しかったらしくて
とても大はしゃぎでした。

後部座席の後ろの
荷物置きのスペースから
はみ出さんばかりに
元気いっぱいでした。


職員さんによると
雷に驚いて脱走したと思われる
興奮状態のひなちゃんを
たまたま通りかかった収容車が
回収したとのことでした。

家から500メートルも
離れていない場所で
捕まえられたそうで
その現場をなんと
祖父が見ていたと
後から言うのです!!

「なんかん動物が
檻に入れられちょるとこをなぇ
昨日車で通りがかっととき
見たんじゃ〜わ〜」

…て、それ、
うちらのひなちゃ〜〜ん!!

さすがに運転中では
うちの子かどうかまでは
判別できなかったようで
イタチだかイノシシと
思ったみたいです。

にしても「なんかん動物」て。


無事に帰還したひなちゃんは
シャンプーで洗っても洗っても
乾かした後も
うっすらくさかったです。

でも、収容されてしまったのは
戸締まりと脱走対策を怠った
人間のせいなので
仕方がないことです。

人間代表としてわたしは
ごめんね
でも帰ってきてくれて
ありがとう、と思いながら
ひなちゃんを洗いました。

居ない間の心細さを思えば
無事に戻ってきただけで
それで十分だと思いました。


ひなちゃんは
わたしから見ると
割とテキトーに飼われていた
という印象ですが
元気で生涯を終えられたのは
幸運な犬だったからだと思います。


ちゃんと幸せを感じて
生きていたかなぁと
思ったりしますが
わたしたち人間に
幸せな気持ちをたくさん
感じさせてくれたのは確かです。


いとこの家に
ひなちゃんが来てしばらく経った頃
わたしは入学したばかりの高校の
教室になぜか突然に入れなくなり
勉強も手につかなくなっていき
自分の部屋で延々と
眠って過ごしていました。

起きているときは
将来に対する不安から
暗い気持ちでいることが
多くありました。


人目の気にならない夜になると
両親と一緒に
借りてきたひなちゃんの
散歩に行きました。

そのときのわたしにとって
数少ない楽しい時間でした。


その他にも
たくさんたくさん
楽しさや色々な思い出や
学びを与えてくれたひなちゃんに
大きな感謝の気持ちを
送りたいです。


ありがとう、ひなちゃん。
ずぅっと大好きだよ。




↑写真は5歳頃のひなちゃん(若いな〜)
 20歳くらいのわたし(細いな〜)





む…撮ってるのか…


見ないふり、見ないふり…と。


↑珍しくカメラ目線くれたけど
 すぐに無視してくる
 ツンとしたひなちゃん。




↑おばあちゃんになってからは
 高い台でお食事してました。




↑おむつはかわいい柄の
 おしゃれ女子。
 (本人の希望はわからないけど
 取り替えるわたしたちは
 楽しかったです)
 
 そして、よく壁際で行き倒れる…
 そんなおばあちゃんっぷりも
 またかわいいのでした。



思ひ出は尽きないですが
今日は脱走エピソードと
1月でお別れとなりましたの
ご報告といたします。

また
ひなちゃんのこと
気が向いたら
書くかもしれません。

それでは〜ぽってりフラワー



Shoko