https://note.com/asahi_books/n/n79fe4dfc87c0
本日4/28(木)までnoteで全文公開されています。
書籍は既に発売中です。
幼少期から成人期にかけてのトラウマ体験を持ち、精神疾患による様々な心身の症状とともに生きるサバイバーの妻を、新聞記者の夫の目線で綴ったルポルタージュです。
この人たちはどうなっていくんだろう…と
妻の危うさ、支える夫のぎりぎりな精神状態にハラハラしながら
ときに涙しながら読みました。
最後に記されている現在の夫婦の暮らしの様子には、色々と乗り越えたからこそ感じられる穏やかな幸せの温かさがありました。
読了後は心がいっぱい動いたからか
体に力が入らないような感覚になりました。
自分や周りの人と重ねながら
これまでを振り返る機会になりました。
物心ついた頃から感じていた生きづらさや
精神疾患を発症してから今に至るまで
ぽつぽつと思い出していました。
それから、精神や身体のケアが必要な人の
周りの人、特に同居する家族についても考えました。
統合失調症の陽性症状がひどかったとき(28歳)に、
どう対応したらよいか分からなかった両親の悲しそうな顔を覚えています。
誰にも、近所に住む親戚にも
わたしのおかしな症状(妄想や幻覚、支離滅裂な言動)のことを言えなくて
助けを求められなくて、
孤立してつらかっただろうなと思います。
わたしは昼夜かまわず家で歌ったりピアノを弾いたりしていて、よく注意されていました。
ある日、カラオケで大きい声で歌いたい、いい子にしてるから外に出かけたいと言うわたしを、近所のカラオケボックスに両親はしぶしぶ連れて行ってくれました。
そこは近くに色々なお店やスポーツジムがあり、外に誰でも使えるトイレがありました。
カラオケの店舗内にはトイレはありましたが、着く前に行きたくなったわたしは外のトイレに母と行きました。
でも、そのとき、誰か知らない人がついて来るかもしれないという妄想で怖くなってしまい、
知人が働いていて安全と思えたスポーツジムのトイレを借りることにしました。
母が受付の人に話して、借りられることになりました。
トイレにえらく時間がかかり、
最初は愛想の良かった受付の人が怪訝な顔で様子を見に来たりしました。
(わたしが不安な気持ちになり安全かどうか確かめたり、体がこわばって衣服の着脱がスムーズにできなかったり、忘れ物がないか確かめたり、なぜか掃除を始めてしまったり…といった理由で時間がかかりました)
やっと、済ませて受付に戻ったところで、
見覚えのある人がジムの中からやって来ました。
大学生のとき以来で、そこで偶然に心療内科の先生に会ったのです。
わたしは支離滅裂ながらも先生になにかを話して満足して、
知人(受付の人に呼んでもらった)とふたりで話したり、ジムの自動販売機のコーヒーを飲んだりしました。
両親はその間に先生に話を聴いてもらい、
翌日に心療内科を受診することになりました。
このとき、孤立していたわたしたち家族が医療とつながったときでした。
この日の偶然がなかったら、
わたしの状態はもっと悪くなっていたかもしれないし、
両親ももっと苦しい思いをしていたことと思います。
精神疾患で(または別の理由でも)苦しい本人も、その人を支える人も
「助けて」と
誰かに言葉で伝えてもいい。
とても勇気の要ることとは思いますが。
すぐには理解してもらえないかもしれません。
拒絶されることもあるかもしれません。
SOSを受け入れられる人や場所は
広く見渡したら
いくつも用意されています。
苦しみの中に溺れているときは
見えないかもしれません。
心のどこかに
留めておいてほしいなと思います。
わたしも、あなたも、
助けてって言っていいのです。
「知る」ことで
また違う視点で
世の中を見ることができるかと思います。
まだまだタブー視されがちな精神疾患のことを、
まずは知ろうとする人が増えてくれたらいいなと思います。