大晦日の今日は、2020年の印象に残っていることを振り返ってみました。
一年分なので、とても長い文章になりました。






2020年1月は結婚したばかりで、彼との暮らしを手探りしつつ楽しんでいました。

入籍は前年にしましたが、まだ、お互いに実家に暮らしていて彼が時々泊まりにくるというかたちでした。
急激にわたしの環境を変えずに
(精神的に安定している状態を保つのが大事なので)、
ゆくゆくは彼の実家で暮らすことを目指して、徐々に彼と過ごす時間を増やしていこうという計画でした。


でも、彼の実家に初めて泊まりに行ったとき、ここで一緒に暮らしていくのは無理だと感じる出来事が多々ありました。
特に、彼のお母様とふたりで話したときに、わたしに今後期待することを伝えられたときは(なるべく早い出産、資格を取って高収入な仕事に就いてほしい…など)、唐突で心の準備ができていなくてびっくりしました。
先々のライフプランは彼と徐々に細かく話し合って決めていこうとしていたので、わたしの希望との大きなギャップがあるその期待は、すんなり受け入れられそうにありませんでした。
止まった日の翌朝、泣かないように我慢しながら1時間電車に揺られて実家に帰り着きました。
帰ってひとしきり泣いた後、彼とはお別れしようと決めました。


そして2月に離婚届を出しました。
彼のことは好きなままでしたので、
しばらくの間は寂しくて辛かったですが、

離婚後のやりとりで彼の言動にも心が傷つくことがあり、数ヶ月後には一切の連絡を断つことにしました。それが秋頃で、やっとお別れを完了できたように思います。


それからは、すっきりとした心持ちです。
彼には様々な学びを与えてもらい、感謝しかありません。




お別れしてすぐの春頃は、なにも考えないように、ひたすら眠る日々でした。

だんだんと心の痛みが癒えてきて、これからをどんな風に生きていきたいかなと考えるようになりました。
その頃から、以前よく読んでいたさやちゃんのブログをまた読むようになりました。発売日に購入した「ヒキコモリの法則」の本も側に置いていました。
さやちゃんの言葉に触れるとなんだか力がわいてきて、前向きに未来を想像することができました。


自分ビジネス世界会議の予告動画を見て
全編を見てみたくなりました。
いろいろな人の実践と質疑応答が聞けるようだったからです。
思い切った買い物だったのでよく考えたのですが、きっと後々最初から見たくなるはずだからパート1とパート2も自分に買ってあげよう!と思いました。決めた翌日、アクセスしやすいであろう明け方を選んで、すごくドキドキ緊張しながら注文しました。
ベッドの中で注文ボタンを押したとき、ホワッと体が温かくなったのを覚えています。体から、ありがとうって言われた気がしました。



自分ビジネス講座パート1を見て、
5月の誕生日には開業届を出したいなと思い、書類をプリントアウトして準備していました。ずっと趣味で作っていたアクセサリーを販売してみようと考えて、とてもワクワクした気持ちが盛りあがっていました。


そのワクワクの気持ちのまま、あるとき母に、こんなことを今後しようと考えてる、とアクセサリー販売の計画を話してみたら、さめざめと泣きながら大反対されてしまいました。母の身近にいる自営業の人達は苦労している人ばかりだからやめてほしい、まともな会社で働くことを考えて、と言われました。
それと、さらにショックを受けたのは、
あなたが今までくれたアクセサリーも全然いいと思わないし全然うれしくもなかった、と言われたことでした。

わたしは思考停止に陥ってしまいました。

その場では、そのうちハローワークに行くね、と言って、その日の会話は終わりました。



数日後、借りるものがあって母の鏡台を開けたら、そこにしまってあったはずの、今までわたしが作ってプレゼントしたアクセサリーが全部なくなっていました。多分捨てたんだろうなと思い、この間の言葉を思い出して悲しくなりました。

そんなことがあってから、
以前はいつも楽しく考えていた、これからしたいことについて、考えることが出来なくなっていきました。心の中で明るく燃えていた火が、小さくなっていきました。


それから時間が経って、今もその小さくなった明るい火を完全に消してしまってはいません。

来るときが来たら動き出せるだろうし、好きなことならいつでも再スタートさせることができると思っています。自分の人生なので自分の選んだ生き方をするつもりです。

さやちゃんや自分ビジネスを実践している方々の、いきいきと活動されてる様子の発信を見て、心の火を燃やし続ける燃料にしています。

母の反応がまだまだ怖くて、なかなか動き出せないところもありますが、
怖さに負けないで自分が心から好きな方を選択をできるようにしたいです。




引き出しからアクセサリーがなくなっていた出来事があってから、
開業のことは一旦脇に置いておいて、ずっとしていなかった運転の練習や、家事にエネルギーを注ぐようになりました。


春には単身赴任をしていた父が退職してうちに戻ってきました。3人の生活リズムに慣れるのに時間がかかるかなと思ったけれど、父は庭仕事をがんばっていて、わたしは家でひとりで過ごせる時間が思ったよりたくさんあったので大丈夫でした。



4月には有言実行のためにハローワークに初めて登録しに行ってみました。
精神的な不調があることを窓口の人に伝えると、障害者手帳は持っていますか、と尋ねられました。ただでさえ緊張していたけれど、なんだか気持ちがしおれていくのを感じました。
ネットで求人を何度か見てみたものの、それ以上の行動はできないまま、いつしか求人も見なくなりました。
自分のためではなく母を納得させるためのことだったので、続かなかったのだと思います。



6月の梅雨の時期はいつも体調不良になるので、無理をせず、雨を理由に運転もサボって、なんとかやり過ごしました。

そのあとに迎えた夏は、なぜか早起きができるようになり、毎年恒例の夏バテもなく健康的に過ごすことができました。
わたしの離婚のことで長く落ち込んでいた母もようやく立ち直り、穏やかな夏の日々を過ごしました。



9月は両親が一泊旅行をすることになり、旅行代理店ごっこと称して宿の予約などの準備をがんばりました。わたしは旅行したい気分ではなかったけど、行き先を想像して準備するのは楽しかったし、両親も喜んでくれたので充実感がありました。
9月後半にはOfficial髭男dismのオンラインライブを母にプレゼントしました。一週間の配信期間にめいいっぱい再生しまくったので、数年分聴いたような満足した気持ちになりました。Pretenderという曲が、春から落ち込んでいた母を癒やしてくれたのでした(ありがとうヒゲダン)。


そのライブの少し前には不眠になって、定期的に通っている心療内科に臨時で駆け込みました。体がこわばってうまく動かせなくなっていたので聞いてみたら、3年前から継続して飲んでいる統合失調症の薬の副作用とのことでした。
副作用を抑える薬が追加され、数回飲んだらこわばりは良くなりました。わたしは薬がよく効く体質なので、体の動きの様子を見て追加の薬は調整しました。

この頃から両親もわたしの服薬の記録を共有できるようにと、ノートに日記を書くようになりました。みんなで読んで、私が主に書いて、ときどき母も書き込んでいました。



10月は家計簿を記録するようになり、久しぶりにパソコンを使うようになりました。レシートの数字からものの値段を知ったり、収入支出の内訳を肌で感じたり、お金のことに関われる喜びを感じました。
自分ビジネスで物販をしている方から、初めてお買い物もしてみました。きれいな布ナプキンにひとめぼれしました。お買い物してみて、ネットショップでの商品の見せ方やパッケージ、メッセージのやりとりなど、とても学びになりました。



11月は登山をしたり、カーテンを新調したりしました。
後半から冬眠状態になり、夜から朝にかけて長く眠るようになりました。
ほぼ寝てるので日記に書くことがなく、書きたいことがあった日だけ書くことにしていました。
パソコン作業もしばらくためておいて、12月半ばになってから体調のいいときにまとめて済ませました。レシートの多さに一瞬ひるみましたが、落ち着いてひとつひとつこなしていけば案外なんとかなるものでした。
眠ってばかりいても、両親は許してくれているみたいで、この冬は安心して休むということが少し上達したかもしれません。




長くなりましたが、今年の印象に残っていることを思い出して書いてみました。




さて明日から2021年です。

新しい年は、もっと自分らしさを表現することと、日々を充実させていけるように、より深く自分とつながってコツコツと生きていきたいです。



記事を書いているうちに新年を迎えました。除夜の鐘と、打ち上げ花火の音が聞こえてきます。

わたしにとって、あなたにとって、
素晴らしい一年となりますように。