はじめまして。

『自分でクリエイトした人生は超楽しい!』へようこそ

 

コンテンツデザイナーのサトウチエコ、さとちーです。

 

2年ぶりに再開したアメブロですが

使い方を忘れていたり、新しい機能が増えていたりで

触っては失敗の連続ですが、やっぱり使いやすいんですよね💧

 

アメブロ歴は、20年近いのかなぁ。。テヘ照れ

 

ということで、以前もちゃんとしていないであろう自己紹介を

この再開を機に書いてみようと思います。

 

プロフィールにもざっくりとですが、書きましたが

こちらではもうちょっと、詳細含めて書きますね。

人のことなんて、つまらないかもしれませんが

どうぞお付き合いください。

 

物心ついた時から両親は仕事をしていた気がします。

当時、アレルギーもあって食べ物の好き嫌いが激しかった私は

保育園の給食が嫌で、中退します笑い泣き

 

絵本や本が大好きだったこと、教育熱心だった父なことで

読み聞かせや字を教えてくれていたので、保育園に通っている子たちよりも早く

読み書きはできていたと思います。

 

幼少期はとにかくおとなしい(内弁慶)で、家の中で遊ぶのが大好き飛び出すハート

 

預けられることが多かったので、場の空気を読むのはその頃に習得したのかなって思います。

その頃から、人間観察するのが大好きでした。

 

私の世代では珍しい、両親共働き家庭で

学校から帰っても「おかえり」と言ってくれる人はいなくて

言ってもらえる、家にいるお母さん。。憧れでしたね〜ラブ

 

保育園中退な上、小学校2年で転校することになり

友達づくり、話しかけたりが苦手で

例え答えがわかっていても、手をあげて発表するなんてもってのほかびっくりマーク

当てられるのも、迷惑なほど、とにかく人前で話すとか嫌でたまりませんでした。

 

小学校で早くも女子特有のめんどくささを体感し

より一層、友達づくりが下手になります。

 

それでもなんとなく、学生時代を過ごし(今思えばもう少しちゃんと過ごせばよかったあせる)

専門学校を卒業を前に過労で父が倒れます。

就職をとりやめ、父の入院と退院後のリハビリに付き合う。

 

卒業から1年後、ゼネコンに就職し新築マンションやビルの施工管理をしました。

自分でなんとなく描いていた未来とは、かなり違うものになっていました。

でも、言えない、どうしたらいいのかもわからず

3年働いて、結婚を機に退職します。

 

自分の思っていた結婚生活ではありませんでした。


子供も苦手でした。。

理由は、周りに子供がいなかったこと。

父方も母方も、いとこの中で私が一番下。

可愛がってもらう、遊んでもらう立場だったので

自分より下の子供との付き合い方がわからなかったのです汗

 

それでも、やっぱり自分の子供がいたらなぁとか

子煩悩だった両親孝行にもなるかなーとか


妊活始める前に❗️

40度近く発熱し、レーズンみたいな湿疹はできるし

何かとんでもない病気になってしまたんだガーン

と、皮膚科へ行ったら『水ぼうそう』でしたチーン


その後妊娠していることが判明しましたが

水ぼうそうになったこと、解熱剤やら、抗生物質やらと

薬を大量に飲んだこと

産婦人科のDrの判断のもと、手術をすることにしましたえーん


あんなに子供が苦手だったのに

悲しかったですショボーン


そこで

子供を産むことを決意ビックリマーク

 

無事、少し大きめで元気な子が生まれてくれました立ち上がる


しかし、子供が2歳の時に父。

幼稚園の入園式を楽しみにしていた矢先、母が。

2年の間に相次いで亡くなりました。。ガーンガーン

 

その後、一代で築いた父の会社を引継ぐも、

家事・育児・仕事。。と

夫の協力を得られず、やむを得ず会社を閉鎖。

 

まだ両親がいるときに、実家に戻っていたら

もっと長生きしてくれたのだろうか。。

と考えることがあります。

 

父が具合悪くて電話かけてきても、出ることができなかった。。

夫が嫌がるから。。

「携帯電話、切っておけビックリマーク」って。。

今思い出しても、なんて酷い話でしょっパンチ!

 

そんな人ですからね、長くは続きませんよね。

子供が中学生の時に、別居をしました。

 

別居のために就職した会社が倒産。

(付き合ってはいけないB団体と取引があったり、入社したときから時間の問題かなと思いました)

面接の時に『アレ?』と思ったけど

別居して、生きていくための就職だったので、採用されたので入ってみました笑い泣き

まぁいい経験ができました。と思えば、ねニヤリ

 

社員になれるからと、ひとまずパート入社した会社は店長の認識違いで

年齢制限があり社員になれないとわかり退社。

無事に転職できたけど、メンターである先輩や上司に恵まれず転職が続きます。

 

その頃、不調を感じつつも気づかないフリ汗していました。

 

これからって時の2014年秋。

 

とうとう、起きれなくなりました。

 

==続く

ちょっと長く生きているので、自己紹介も長くなりますね笑い泣き