戦と闘 | ティル・ナ・ノーグ Tir na n-Og
戦も闘も同じ「たたかい」を示す漢字なのに、病気と「たたかう」ときは“戦病”とは書かず“闘病”と書く。辞書を引いても単なる類義語としてしか扱われておらず、深い意味までは記載されていなかった。

『戦』は単と戈に解字できるが、単は盾を表し戈は武器を表す。
明確なる装備があって、はじめて「たたかい」を表現するのが『戦』。


『闘』は門がまえ(正確には“日”の部分は“王”)と豆+寸に解字できる。
門は人を表し、豆+寸は削ると表す。これには見えない敵に対して
「たたかう」ことを示している。


そのように考えると、どちらも「どちらが強いか優劣をつける」ことには変わりありませんが、『戦』は全面的な(表面的な)たたかいを指示し、『闘』は単独的な(内面的な)たたかいを指示していることとなる。
英語でも『戦』=War、『闘』=Battleと表され、Warは命を奪うことを前提としているがBattleは命を奪わない。例えばテロとの争いはWar=戦争であり、法廷での争いはBattle=闘争である。

これらを鑑みると、病気と「たたかう」ときは『闘』で表現するのが適当。さらに詳しく調べると、『闘』とは積極的に心と向き合っていくとも云われる。だから病気とは戦わない病気を治すとは、病気を打ち首にすることではない。自分自身が「負けてたまるか!」という強い意志を持って克服する(乗り越える)ことだと思う。


…そう言い聞かせながら、私もこうやって闘病記を綴っています。うつは心の隙を突いて内からドロドロにしていく厄介な病気です。隙が出来たら、そのときは闘病者同士で一緒に闇と立ち向かっていきたい──