小童が何を言っている!って怒号が飛んできそうなタイトルですが、人生の先輩から聞いたお話です。今日は退院前ということで、前に1度だけ参加したピア懇談会(←過去記事に飛びます)に、今日の夕方出席させてもらえました。今回も30分でしたが、波瀾万丈な人生を送ってこられた方の貴重な体験を聴けたので、覚えている限りでお話しようと思います。
短文ですがきっと心を動かされるはず。。。
その人は沖縄県出身の60代の男性(以降、彼)。成人と同時に上京し、親孝行のために働きに出たそうです。仕事はハードで、何より強い方言が周囲の人を遠ざけてしまう。
とうとう周りに気軽に話せる人はいなくなり、ついにはうつ病を患ってしまいました。
入院生活が始まりますます孤独感が募る中、偶然にも高校時代に寮生活でお世話になった先輩が上京して近くに住んでいることが分かり、お見舞いに来てくれました。何度も何度も、数えきれないくらいに。
とあるお見舞いに来てくれた日、彼は尋ねました。
「先輩はどうして僕に構うのですか?仕事も忙しいでしょうに…。放っておけばいいんですよ」
先輩は人差し指を立ててこう返しました。“チムグリサン”と。
沖縄では相手が苦しんでいるのを他人事にしない風習があります。先輩の言った“チムグリサン”とは〈 私の心が痛む 〉のことです。つまり「君が辛いのを見ていると、僕も本当に辛い」ということ。
何度か会話を重ねていると、先輩の事が分かってきました。なんとその先輩はうつ病を4回繰り返し、心身ボロボロになったことも。だけど乗り越えました。同じ職場の人が、足しげく激励に来てくれて光を取り戻した。「今度は僕が他の人を助ける番だ!」と意気込んでいたところに、後輩(彼)が入院していることを家族から聞いてすぐ飛んできたそうです。
「僕はね、見舞いに来たんじゃないよ。君と同じ病気を経験した一人として、激励に来た。いつまでも死という言葉が頭をよぎり、病気から逃げたくなる君に、真正面から闘えるように勇気を与えに…」
「僕は君の応援団長だ!僕でさえ克服できた病だ。一緒に乗り越えよう!」
彼は「あんなに熱い人は、初めて見た」とびっくりしていました。
いくら同じ病気を経験したからといって、同苦することは難しい。先輩は「もし自分がその立場にあったら=チムグリサン」という精神を考える努力を怠らなかった。そのお蔭で彼は泥沼から脱出することができた。
「人っていうのはね、人の痛みもよく知らずに日常を過ごしていると、相手が病気でも同苦してあげることはできない。だからと言って別に病気になれという訳じゃない。一番悪いのは他人事のように感じて、自分は知らんぷりという精神。それじゃあダメなんだ。手を差し伸べようよ。誰とでも気兼ねなく、苦しい思いをしている人がいたら、話しかけてみて。そうしたら絶対その人の心は開く!」
───
治った?はずの彼がなぜこの病院にいるかと疑問に思いましたが、なんとこのチムグリサンの精神でみんなと一緒に闘うというのです。私は、彼のあまりにも大きな寛容さに圧倒されました。
一緒に闘病してくれる仲間がいると、とても心強いです。沖縄の方々の考え方というのは非常に寛大でスゴイな…の一言に尽きます。同苦=同じように苦しむとは普通の人には決してできないように思った。だけど彼は「できる!」と言う。考える努力を惜しまなければ救える命がある、こうも言っていました。
なるほどと思う。君を知れば、私も君の役に立てるのかな?