暖めて待ってるよ | ティル・ナ・ノーグ Tir na n-Og
房室で湯気の立つココアを飲みながら、ふと昔の事を思い出した。


───>

10余年前、私のはパニック障害からうつ病になりました。当時高校生だった私は、が家で病床に伏せっていることに疑問を抱いていました。
「ぱにっく」?「うつ」?
よく分らないが、なんかの身体的な病気にかかったのだと、その程度の考えで看病してあげる事しかできませんでした。その時の姿は、まるで痴ほう症にかかった老人のようでした。
「トイレに行く」と言ったっきり、一度は床から起き上がったものの、すぐに寝込んでしまう。とにかく介護が必要な程ひどかったことは覚えています。
その10年後に、私も同じ病気で苦しむことになるなんて、誰が予想したでしょう。。。

は約1年の闘病を経て元気になり、いつものように仕事に一生懸命の自慢のに戻りました。ただ、現在も抗うつ薬を飲んでいます。

<───


ここで話は一区切り。ココアのおかわりを貰って、再びノートPCで記事の続きを書きます。まだ煎れたてなので、マグカップは火傷するほどに熱い。


───>

そして月日は流れ、今度は約5年前のお話になります。
のパニック障害はほぼ無くなりかけていて、服薬量も減ってきた頃のエピソード。次はの会社の同僚が、同じパニック障害に陥り、仕事を休みました。は自分がパニック障害を経験していたこともあり、一緒になって闘病を支えてあげました。病院に行く時も、いつも一緒に。
ある年の年末、普段は2週間に1度の通院をしなければならなかったのですが、病院の休暇ということもあり、年をまたぐ間だけ3週待ってからの通院になりました。
同僚に、「年始が病院休みだから、1月10日に迎えに来てくれないかな?」と電話で話していました。父は「分かった!じゃあいつものアパート前に、9時に行くから。来年こそは治そうね!」と言って電話を切ります。

<───


ふぅ…、記事を書き進めるうちにココアが大分冷めてしまったようです。乾いた口を潤して、私はまたPCと格闘を始めます。


───>

翌10日、時間通りに同僚のアパートに着いた父は、同僚が家から降りてくるのを待ちます。しかし、30分待っても出てこない。家をノックしても返事がない。電話をかけても繋がらない。。。
「もしかして一人で行っちゃったのかなぁ」と思い、父は仕事場へ戻りました。それから1週間が経過した頃でしょうか、父の仕事場に警察から連絡が入りました。
「あなたに殺人の嫌疑がかけられています」
はそんな馬鹿な!と声を張り上げましたが、気を静めて話を聞いていると、同僚自室内で亡くなっていることが発覚したのです。最後に連絡を取ったのも父、さらにアパート前で同僚の家をノックしていたの姿を目撃した大家が、もしかしたらと思って警察に通報したそうです。
鑑識の結果、亡くなったのは年始直後で、衰弱死だったことが分かりました。布団の中で、安らかに眠りに就いていたそうです。嫌疑が晴れたとはいえ、はショックを隠し切れませんでした。だって「ずっと一緒」に居られると思ったからです。

<───


ここまで書いていて、私は辛くなりました。救えなかった尊い命…。冬の真っただ中の寒い日に、独りで天国へ逝ってしまったのですから。今ここにあるココアを、少しでも分けてあげたらな。。。


───>

父は何度も言っていました。「車内は暖房かけて暖かくして待っていたのにな…」と。「独りで勝手に逝くなよ…」と。私も今になってようやく分かりました。うつ病がどれだけ辛い病気なのかを。“独り”で居ることがどれだけ寂しいかという事を。
それからというもの、私の父はとにかく自分よりも相手を気遣うようになり、私自身もその恩恵を受けています。次は私が一緒になってあげる番。そのためには、まず自分を治さなければなりませんね。

<───


身体の芯まで暖まったところで、このお話は終わりです。全て事実です。父がそのことに触れないため、私自身もその事件を忘れかけていました。
ですが、今こうしているうちにも独りになる人が増えていく。だから叶えたい。絶対に国家資格を取る!と。そして多くの人を家族にしていく!と。

少し時間はかかるけど、いっぱい勉強して、暖めて待ってるから。その時はいつでも頼ってくださいね。