そうかもしれない、けど。 | ティル・ナ・ノーグ Tir na n-Og
つい先日、ある掲示板でチャットしていた時のお話。

私がいろいろと怪我や病気ばかりの人生を送ってきたことを話題に出してチャットしだすと、初めのうちは

「おいおい、大変な人生だな」
「ホント、波瀾万丈だよ」

とか、割とやんわりした雰囲気だったのですが…どんどん論点がズレていって──

「なんかさ、そこまでくると生きる意味無くね?」
「いっそ楽になりたいとか思わなかったわけ?」

質問攻め(?)の様相を呈したところで、とうとうよく分からない状況に


「震災で身内が亡くなったんだよ!返せよ!命入れ替えろよ!」
「世界には貧困で亡くなる人いっぱいいるからさ、その人たちの代わりに●ねよ!(笑)」

そう発言する人もいました。果たしてそれは正しいことなのでしょうか
こんな生き方をする私は、苦しんでいる人の代わりにこの世から去ることが使命なのでしょうか


私は違うと思います。厳しい言い方をすれば、たとえ私が命を落としたところで、その代価で亡くなった人が生き返るわけがありません。だけども、私が臓器提供
したことで助かる命があるかもしれないし、私がいなくなることで心配してくれる人の心の負担を無くすことができるかもしれない。


正しい答えは、どっち?


それは私に決めさせてくれませんか?こんな体たらくでも、この先50年生きられるとしたら…1年で1人でも救えることができたら、生涯で50人助けることができます。

できれば、自分はその生き方がいい!!

その分たくさん勉強しますので、異論のある方はどうかそれでご勘弁を

まだ少しは動ける身体なので──せめて「砕ける」までは(笑)


このブログを書くのに、一体何回『ぐぁ痛った!!』と口にしたことか。。。