こんにちは。学生団体CORS Projectの吉田です。

 早く梅雨が明けてほしいですね。

 

  さて、先日、日常にJリーグが戻ってきました。

 まだまだ条件付きでの開催ではありますが、スケジュール帳の週末の欄に、試合日程が書き込めるのは、嬉しいものです。

 今回はそんなJリーグへの思いを書き連ねました。

 サッカーを知らない方でも、楽しめる!かも。。。

 

Jリーグとわたし

 

 僕がJリーグと出会ったのは小学3年生の頃。とある選手を観たいと思い、両親に連れていってもらいました。

 こんな世界があるんだと、何もわからなかったけど、思いました。

 

 僕がJリーグの喜びを知ったのも小学3年生の時。その選手のいるチームがリーグ優勝しました。

 強いチームは楽しいサッカーをしていましたが、なんだかとても辛そうでした。

 だから彼らが優勝して、嬉しかったのです。

 

 僕がJリーグの感動を知ったのは小学4年生の時。

 大きな地震が起きて、先が真っ暗、全部なくなった、何もできない、そんな気がしていました。

 でも、そんなことはなかった。そこにサッカーがあった。勇気をくれた。明かりを灯してくれた。

 

 伝説のストライカーが、すごいゴールを決めました。

 みんなが元気になるゴールを決めました。

 彼が踊る歓喜の舞は、不思議と、彼が踊るときだけ、格好良く見えました。

 

 私がサッカーの限界を感じたのは小学6年生。

 選抜チームですごい選手がたくさんいる中、自分の実力のなさを知りました。

 でも同時に、それは希望でした。彼らに、すごい選手になってほしい、と思いました。

 同時に、すごい選手を支えたいと、思いました。

 

 私がJリーグで悲しかったのは中学1年生の時。

 本拠地で好きなチームが負け、目の前で違うチームが優勝しました。

 嬉しそうな彼らを、悔しい思いで見ている人がたくさんいました。

 でも、それは不思議と温かかった。

 悔しさが悔しさとして存在しながらも、次のシーズンへと、いろんな人が背中を押しあっていました。

 

 私がJリーグともっと仲良くなったのは中学3年生の時。

 初めて一人でスタジアムに行きました。

 お互い知らない、知らない場所からくる、仕事も知らない人。

 でもみんな好きなチームに勝ってほしい、その想いだけは同じ。

 だから一人じゃなかった、だから一人でもさみしくなかった。

 

 私がJリーグの可能性を感じたのは高校1年生の時。

 私の好きなチームが世界一の一歩手前まで行きました。

 多くの人は言いました。「惜しかったね」

 私たちは言いました。「悔しいです」

 このチームは、Jリーグはまだまだ大きくなると思いました。

 

 私がJリーグに怒ったのは高校2年生の時。

 とある選手が差別発言を受けました。

 私たちの仲間がひどいことを言われました。それはニュースになりました。

 ひどく、ひどく、悲しいニュースです。

 でも、まだひどいことを言われている人は、いなくなりません。

 まだ悲しいです。二度とあって欲しくないです。

 

 私がJリーグのためになりたい、と思ったの高校3年生の時。

 将来を考えました。

 そんな時、Jリーグにはいつまでもあってほしいと思いました。

 孫と手を繋ぎ、スタジアムに行きたい、と思いました。

 そして、わたしのふるさとにもJリーグのある週末が訪れてほしいと思いました。

 

 

 『サッカーが人々を豊かにする街』

 サッカーへの思いが溢れました。ただそれを文章にするだけでした。

 

 私は、このサッカーへの思いとともに、大学へと合格しました。

 Jリーグのおかげです。

 

 

 

 私がJリーグを愛したのは、11年間。

 私がJリーグを愛しているのは、今。

 現在進行形で、サッカーは、Jリーグはそこにあります。

 

 だから私は、人々の生活を幸せにすると信じてやまない、Jリーグのために、今を生きていきます。

 

 Jリーグはあなたみたいなもの、喜怒哀楽があり、山あり谷あり。いつもうまくいくわけではない、

 でも、毎日を生きています。

 

 そんなJリーグ、皆さんにも見てほしいな〜〜。という思いとともに、今回はおしまいです。

 

 では、皆さん、スタジアムで会いましょう。