こんにちは!学生団体CORS Projectです!
今週は私、正村が担当します。
今回は私の人生経験から考える「障害」についてです。
早速ですが、皆さんは「奇跡」だと感じたことはありますか?
私は「奇跡」の連続でここまで生きていますし、こうやってブログを通して皆さんに発信できています。
私が産まれたとき、母は大量出血、私は無呼吸状態で母子ともに生死を彷徨っていました。当時担当してくださったお医者さんが懸命に心肺蘇生をしてくださったり、母も一命をとりとめ今があります。しかし、私はすぐにICUで治療を受けることになり母のもとに渡ったのが数か月後のことでした。やっと母と会えたと思いきやお医者さんから衝撃の一言が告げられます。「この子は無呼吸状態だったため脳に酸素が回っていない時間が数分ありました。健常者として生きることは難しいです。支援学校を探してください。」と。しかし、リハビリを続けていくことで奇跡的に回復し健常者として生きることができています。
この話を聞いたのが小学2年生の時です。当時は全く信じることができませんでしたが、母が泣きながら話してくれて当時の写真や助けてくださったお医者さんの元にお礼をしに行き自分の身に起きたことなんだと感じました。母は「病院内では『奇跡の子』って言われていたんだよ」と笑いながら言っていたのを今ブログを書いているときに思い出しました笑
産まれたときの話を母から聞いた時から深くは考えていませんでしたが、「障害」に対しての思いは確実に変わりました。
「奇跡」はまだまだ続きます。
小学5年生の時から地元の野球チームに所属していました。ある出来事が起こったのは小学6年の夏合宿2日目の午前中です。
監督・コーチ対Aチーム(小学6年生)で試合をすることになりましたが、監督たちは大人気なく剛速球を投げ続けていました。自分は負けず嫌いなため長打を狙おうとフルスイングした時、左わき腹が急に痛くなり罰走も走れず昼ごはんも食べれず、自分にとって地獄の時間を過ごしました。寝る体制がとてもきつく普通の腹痛ではないことがそれでわかりその日すぐに帰り病院へ行くことになりました。
しかし、担当医が新人だったのかレントゲンも撮らずに触診で「便が溜まっている」という診断で浣腸をしてその日は家に帰ることにしました。
次の日の夜、祖父が医者だったため電話で話している最中に急に息ができなくなり、その時死を覚悟しました。12年間を振り返りながら病院に向かっていましたが、自分はなにもせずに死ぬのかと恐怖と悔しさと痛みで泣いていました。医師から「横隔膜に穴が開いていてそこから腸が飛び出し挟まっていました。息ができなかったのは腸が肺を押していたからですね。」という診断結果を受けました。この診断結果を聞いた時「また『奇跡』が起きた。これからの人生大切に生きよう。」と感じたのと同時に「障害者」の役に何かしら立ちたいという思いにつながりました。
年月が経ち、現在に至りますが、まだ障害者の役に立つようなボランティアなど活動ができていないません。悔しい面もありますが、こうやってSNSを通して発信していくことも、なにかしら役に立つと感じています。私は、私のブログが誰かの心の変化に関係できればいいなと強く感じます。
今回は私のライフヒストリーを書かせていただきました。
「奇跡」の連続で今の自分があります。
自分に何ができるのか?
しっかり考え行動していきたいと思います。