こんにちは。学生団体CORS Project の吉田です。みなさんいかがお過ごしでしょうか。

 『許してモラトリアム』(通称ゆるもら)の第二回

  前回に引き続き、ゆるく書こうと思います。

 

 

「食べられるスマホを作りましょう!」

 

これは、「新たなビジネスモデルを作れ」という企画で、私がチームの仲間に対して行った提案である。

 

私は、声高らかに提案した。なぜなら、できると思ったから、それが人のためになると思ったから。

 

しかし、それは虚しく終わった。

 

理由はなんとなくわかる。まず、現実味がないからだ。それはすなわち、金になる未来が見えないからだ。

もっと言えば、自己満足だったから、かもしれない。

 

しかし、それ以来、私はもやもやを抱えている。

 

なぜなら、「現実離れしすぎている」ということは、ネガティブな「現実逃避」なのか、はたまた、「時代が追いついていないだけ」なのか、分からずにいるからだ。

 

 私たちはどうも、将来のビジョンが描けないものを排除しすぎている気がする。

「無駄」は誰かの「必要」である。でも、多数決で「無駄だ」とされたものは排除される。

 

それは、「オアシス」の排除、「温故知新」の排除、価値観の固定化などなど、窮屈な世の中を生み出すような気がする。

 

 

私の事例に戻る。そこからは二つのことを思った。

 

一つは、私に非があった、ということ。

現実離れしていることを、現実に落とし込む過程が明らかに欠けていた。

もし、データや先行事例、「食べられる素材」の現状、のような「客観的根拠」を盛り込めれば、結果は変わっていたかもしれない。

 

うーん、でも、メンバーみんながみんな「いいっすね!スマホ食べましょう!スマホ!」となっていたら、それはそれで狂気を感じ、私自身がドン引きしていたかもしれない。

 

 

…さておき、もう一つは、現実離れした思考に慣れていない人が多い、ということ。

長年、答えが存在する問題解決に親しんできた我々は、この世の事柄には答えが存在し、そこに行くまでの最適解が必ず存在する、と思い込んでいる、と思う。

 

確かに、答えを出し続ければ、ある程度正解になる。そして、経済は回る。

でも、それでは、「ひろがらない」…ひろがらないのだ。

 

 話は変わるようで、変わらないが、我々世代は、AIと共存していかなければならない。

その環境下では、正解を出し続けることに注力しすぎることは「AI対人間」という対決構図を生み出すことになりかねない。

しかし我々は忘れてはいけない。AIには勝てないことを。

 

 

いやー、長々と読んでいただきありがとうございました。

まとめます。

私は、時代は変わると思います。

テクノロジーは人間を「ほとんど」凌駕します。

でも、私は人間の素晴らしいことは「現実離れできること」だと思います。

空の青さから望郷の思いに至れるのは、人間の美しさだと思います。

それから、自分で言うのもなんですが、スマホを見て「食べたい」と思えることも。

だから、「現実離れ」、バカにしたらいけませんよ。

 

そう言いながらも、私は今「論理的思考」のビジネス書を読んでいます。

現実離れは頭の中で、頭の外には現実が広がります。それを忘れてはいけない、ですね。

 

でも、許してください。モラトリアムなので。(人間)