「弱い立場」に置かれている人たちへの配慮(後半)

 

O1

:障害者やひきこもりの方など、「新しい生活様式」において生活に支障が出てしまう方々がたくさんいる。そうした「弱い立場」にある人たちの境遇に対する想像力を、社会全体が持ち切れていない気がする。

こうした方々が生活しやすいような具体的指針を行政が中心となって、より詳細に示していくことが必要ではないだろうか。

 

O2

:O1の指摘は、いわゆる「マス」を動かすだけでは対応しきれない部分だ。

今回の事態では、「弱い立場」の人がどういう人なのか明確になった。社会のひずみが露呈したといっても良い。障害者やひきこもり、フリーランスの方など、以前から立場の弱さが指摘されてきた方々が苦しい思いをしている。

 

O3

:言葉の意味が一律化してしまうとよくない。

例えば、「コロナにかからないために夜の街に行くのはできるだけ控えよう」という表現一つとってみても、「夜の店」を悪者扱いすることにもなりかねない。

なぜ「夜の店」が営業しなければならないのかということも考えないと。

 

O4

:(O3を受けて)言葉の抽象化が問題だと思っている・

「夜の店」といっても、本当に多くの方が関わっている。

とてもつらい思いをしている中で、ホストやホステスに話を聞いてもらって慰められている人がいるはずだ。ホストやホステスは話を聞いてくれるプロフェッショナルでもある。また、店の機材を整備する業者なども現状は損失を抱えていることだろう。

それらを考慮したとき、一概に「夜の店」を悪者扱いするかのような報道、言動は許されるのか。社会に「夜の店」がどれだけ貢献してくれているかも考えるべきだ。感染拡大防止のための医療的合理性だけで判断するのは危険だ。

 

 

 

文化はなぜ守るべきなのか

 

O1

: 個人的な意見として、2次補正予算に組み込まれている文化に対する予算が小規模で、受給要件もかなり厳しいように感じた。

今は民間が民間を守っている状態。例えば、JFAがJクラブに支援金を出す方針らしいが、利益を上げるためのお金を支援に回すということになる。果たしてこれでいいのかと思う。

 

O2

:文化とは一人一人のことだと思う。我々は過去からの連続のもとで生きている。これまで培ってきた伝統、文化、慣習の上に我々の存在がある。だから、文化がなければ自分の存立基盤がないのと同じで、文化を守ることは自分を守ることだと思う。

 

O3

:(O2を受けて)文化を守るために、これまでの文化を基盤に、文化的活動をやり続けていかなくてはならない。我々のこの活動もその一つだ。

 

O4

:文化に手を出せるのは少数の富裕層だという意見もあるが、根本的に間違っている。

例えば、部屋の装飾や自分が着ている服だって全部文化だ。こうした文化の担い手がどれだけ我々の生活に貢献してくれているのかわからないのか。

こうしたことを考えたとき、苦しい生活を強いられているフリーランスの芸能人やアイドル、劇作家などにも思いを馳せられるようになると思う。

 

O5

:今は経済的価値観でしか文化を捉えていないように感じている。金にならないと必要とされないとでも言うのだろうか。

O2やO4のような必要性をいかに説明していけるかが大切だ。しかし、そもそも説明して納得してもらうまでもなく、文化の重要性は認識すべきなのではないだろうか。

認識していないから、結局わかりやすい経済という指標が使われている気がする。

 

O6

:文化が当たり前だからこそ、文化の消失を観念できない。

それが、文化の重要性が届くのが一部の人に留まることと連動している。

 

O7

:O1~O6のように考えられれば、文化もそうだが、「弱い立場」の人たちに対する想像力も生まれてくるし、思いも馳せられる。

この苦しい状況で、まずは自分のことを守らなければといけないと誰もが思っていて、人のことを考える余裕がなくなることも往々にしてあるとは思う。しかし、こういうときだからこそ、色々なことの「必要性」を考えることが大切だと思う。

 

 

以上です。ご覧くださりありがとうございました。