リオデジャネイロ〜コパカバーナ&イパネマ海岸〜 - 世界ふれあい街歩き - NHK
また、この放送を見てふと思ったことは、サッカーというスポーツは、フットサルやビーチサッカー、フットバレー、セパタクロー、フリースタイルフットボール、ストリートサッカー、ブラインドサッカーなど、今では競技としてだけでも多岐にわたる発展を遂げているなぁ、と感じました。
ストリートサッカーは路上のサッカーではなく、競技としての意味で上げました。(↓こちらの競技)
ストリートサッカー | JSFA | 日本ストリートサッカー協会 (streetfootball.jp)
もっというとラグビーやアメフト、オーストラリアンフットボールもサッカーからできたスポーツですね。
そしてそれぞれの競技で、ビーチサッカーであれば「オーバーヘッドキックのモーションに入った選手には接触してはいけない」とか、ストリートサッカーであればボディーコンタクト禁止、ブラインドサッカーは壁を使った一人ワンツーがOKなど、その競技で表現したいスタイルが輝くようなルールが制定されているように感じます。
日本でサッカーに対する議論としては、フィジカルコンタクトに関することや、ファウル事態を悪とするのか、プロフェッショナルファールは判断やテクニックの一部であるのか、などの話が良く取り上げられていると思います。
世界の各リーグでは、なんとなくボディコンタクトの強度やファールの基準が違う感じはありますが、いろいろな形のサッカーが生まれていることを考えると、各国でどんなサッカーを良しとするかの違いが少なからずあることが分かります。
その上で日本が世界で勝つためには、日本人にとって何が足りていて何が足りないのかを客観視することや、日本人の強みと弱点も客観的に把握することは大切なことだと思います。
サッカーの成り立ちを考えた時に、日本でも球をける蹴鞠がありましたが貴族階級のものということもありあまり広がらず、サッカーやトトカルチョは民衆の娯楽で誰もが楽しめることで、広く世界に広まっていったと思います。
そして私たちが実感として知らない原始的なサッカーの中には、ボールゲームとしての要素のほかに荒ぶる民衆が喧嘩をする要素が含まれている。
カルチョ ストリーコは、サッカーというよりは昨今話題になっているブレイキンダウン張りのの喧嘩ラグビーだが、寝技状態にある相手には暴力を振るわなかったり、相手を引き起こしてあげるなどのリスペクトもあり、やってる人たちなりにはちゃんと協議の様相を呈している。
中2病でも恋はしたいし、フーリガンもサッカーはしたい!
と、いう気持ちが存分に詰まった原始的サッカー。この協議を見ると、ひとりで敵陣に突っ込んでいくオフサイドがいかに愚かな行為であるかが非常によく理解できてサッカーの片りんに触れたような気がする。
サッカーはボールゲーム(競技)としての要素だけでなく、闘い(闘争)として要素も含まれており、サッカーの起源からの歴史を持っている欧州では、ジャッジもサッカーは闘争でもあるという意識をもって笛を吹いているのではないだろうか。
おわり