隠居生活 -29ページ目

隠居生活

日記・blog


言葉の意味を色々調べていると、

何が正しいのか、何が正しくないのかは、

時代によって変わっている。


平安時代の頃から日本語は美しいけれど、

文字通りの言葉を現代人に伝えても、

誤解されたり、真っ直ぐ伝わり難かったりする。


言葉が乱れていると批判する人がいるが、

それについて語る、その人の心もまた乱れている。

自分の中の正しさを曲げられないのか、

他の人の間違いを受け入れられないのか、

答えをひとつに押し込めようとしている。


人間誰もが間違いを犯す。

そんなのもう使い古されたくらい、理解りきったこと。

自分の間違いを棚に上げ、

他の人の間違いばかりを攻め立てる。

あなたも私の考える正しさでなければならないと攻め立てる。


雑な言葉でもいいじゃない。

誤解した言い回しでもいいじゃない。

間違いなんて自分で気づくまで、

間違い自体を認識できないんだもの。


乱暴に見える言葉でも、

何を伝えたいのか目を凝らせば、

すうっと本心が視えてくる。


誰のために話しているのか、

無関心なのか、

親切の押し売りなのか、

心からの思い遣りなのか、

言葉の先に聴こえてくる。


その人が慢心に溺れているのか、

自然体で飄々としているだけなのか、

言葉を重ねれば重ねるほど、

語るに尽きる。


下心も真心も、

ふれ合っていれば、

互いの温もりが近づいて行く。


熱すぎると感じるのなら、

少し冷めるまで待ってみよう。

冷たすぎると感じるのなら、

少し温もるまで待ってみよう。


どっちが熱いか冷たいか、

触れ合った本人にしか、分からないんだもの。

触れ合う機会を待ってみよう。


ふれ合えなくても悲しむ必要はないさ、

君に出会うのを心待ちにしている人を探しに行こう。

地図も指針も必要ないよ、

その瞬間に理解るから。