今日はこどもの日
子供の人格を大切にし、
その幸せを心から願い、
母に感謝するための日本の休日。
少子高齢化で子供の大切さを再認識し始めた世論だが、
かつて自分が子供だったことを都合よく忘れて、
子供たちの憩いの場すら奪おうとする大人が居る。
どちらが子供なのかと疑問を呈する。
自分が子供の頃はもっと厳しくて、
ずっと我慢するのが当然だった。
だから子供には厳しくするのだという人もいる。
厳しさや躾が不要とは言わないが、
自分の価値観を押し付けて、自分より弱い者に怒りをぶつけるのなら、
それはただの暴言だ。
自分が不快だったことを、
そのまま後世に引き継ぐのなら、
そこには何の学びもない。
変わらぬ不幸を嘆き続ける国であり続けたいのだろうか。
私は、子供の頃の自由が極端に少なかった。
貧しさに加えて、教育方針による地域社会からの隔離、
偏った価値観の植え込みによる選択権の剥奪。
こどもの日はおろか、祝日を楽しむことすら許されず、
同じ年頃の友達と遊ぶ機会すら奪われていた。
自由を奪われ過ぎると、人は考える事を放棄する。
無力さに打ちひしがれ、己の宿命を恨みさえした。
だが、それでも子供たちを大切にしたいと思える。
人生には、自分の力で直ぐに変えられないことが多々ある。
時には仕方がないと諦めることも必要かもしれない。
受け入れることとは、何も諦めることだけでなく、
受け止めて理解し、そこから新たな可能性を生み出すことも出来る。
自らが不遇だったからと言って、
誰かの自由を奪う人は、
自分の自由をも奪い続けているように見える。
どうか21世紀の子供たちが、
前時代の子供たちが縛られた不遇から、
少しでも開放されることを切に願う。
自らの人生と学びの場から教訓を得て、
新たな可能性に満ちた日々を過ごし、
素晴らしい思い出に満たされてくれることを願っている。
今日も変わらぬ太陽の眩しさに、
只々温もりと優しさを感じ、
世界に感謝していたい。