何からだって学ぶという姿勢 | 隠居生活

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日記・blog

学習、勉強、テストというと、

近頃の70年位における日本の教育のせいか、

なんだか好きでもないことを無理してでも頑張る、

そんなイメージが付いて回る。


そういう思い込みを、払拭出来ている人もいるけれど、

多くの人が未だに同じ言葉を繰り返している。


学校では、点数を競い合う為に、

Aくん「テスト勉強やった?(こいつには負けたくないな)」
Bさん「ううん、全然やってな~い(実はやっているけどね)」
Cくん「オレもオレもw(やっべ~、もっと勉強しとけばよかった!こいつら陰で勉強してるはず!)」


会社では、出世争いと生存競争の為に、

Aさん「仕事ダリ~、やってらんないよね~(クビになったらどうしよう、隠れてなんかの資格取らなきゃ!)」
Bさん「給料上がんねぇし、楽したいわ~(上司にゴマすってりゃなんとかなるわ、世の中チョロいぜw)」
Cさん「ホントだね~(バカなやつらだ、オレなんて転職先いつもチェックしてるもんね!情報がモノを言う時代なんだぜ、ドヤァ)」


家庭では、親子が興味関心の違いで、

母親「あなたたち、ちゃんと宿題やったの?!(勉強出来ないと、大人になってから苦労するんだから!特に老後とか!!)」
おのこ「あとでやる~(ゲームに夢中なのにうるさいな~)」
めのこ「は~い、わかってま~す(電話でお喋りに夢中なのよ、ほっといて!)」
父親「おまえら!いい加減にしろ!勉強しないとロクな大人になれないぞ!(オレだって遊びたいんだ!もっと休みたい!)」


いやはや、なんとも何処にでもありそうな風景。

いつの時代も変わらないのか、

代わり映えしない人が多すぎるのか、

和の国日本、協調性を極めすぎて迷走しているようにも視える。


勉強ならお互いに教え合えば、より知識は身につきやすいし、

リストラが怖いなら、どんな職場に行っても活躍出来る人格と経験を積めばいいし、

子供に勉強して欲しいなら、自分が本を読んだり、仕事について楽しそうに語ったり、

勉強することの意義について、親が自分の人生で証明すればいいだけだ。


何からだって学ぶことは出来る、

いつだって出来る、

限界を決めるのは自分である。


心構えとして必要なものの一つには、向上心がある。

筋トレにも限界はあるかもしれない、

計算速度にも限界はあるかもしれない、

どちらも鍛えなければ、そこまでの能力でしかない、

どこまでやるかを決めているのは他でもない自分自身。


何から学ぶかという話。

赤ん坊の鳴き声に、一生懸命さを感じ、

子供の笑顔に、幸せを感じることの大切さを思い出す。


新たな語学力を磨くのに、教科書が必要な訳ではない。

新しい環境に飛び込むことで、強制的に身につける方法もある。


娯楽の中でも、新たな学びを見つけられれば、

期せずして自らの学習となり、結果として成長に繋がっていく。


新しいことを学ぶ最良の方法は、楽しむことであり、

人の記憶に強く残す方法は、驚きと感動を心に焼き付けることだ。


私は知っている。

自分の人生の中で、それらを今日も証明し続けている。

そして、あなたも同じように証明し続けている。そのことも私は知っている。


あ~、今年もこの季節がやってきたわ~♪

春春春春春春春
         
春 ヽ(´▽`)ノ  
         


そう、

           

  
          
   

       春     

     春         
   春  春  
 春    春      春    
       
       春      
       

それは私の季節!マイターン!!

あらゆる事象が私に味方する!

そして今日は大安吉日、

予てより検討していたBBT大学受講開始~♪

学びまくろうぞなもし!!


ほなまた(´~`)ノシ