友人が輝いている。

エールを受け取る。、友人曰く‘私がいま輝いています。繋がっているあなたもそうだと思います。‘

うれしい事だし、何よりも友人が輝いている事を自分がどうであれ素直に‘うれしい‘と思えることが幸せだ。

これが自分の限界かと思う事もあるし、いやまだまだ頑張れると思える自分もある。

毎日が揺れてる。

子供を見ると自分の決心が揺らぐ。

したいことをするとき、何もかもがうまくいく事なんてありない。(と思ってはいけないのだが。)

犠牲があってまたその教訓が学びとなり、自分の人生の一端を担う。

いい奥さん、お母さん。 OR  自分 自身のしたい事。 ???

自分の目の前にいる人は自分の鏡。

本当にそう、つい4-5年前の私からは想像もできないくらい、違う友人関係。

それと同時に自分にその時に必要な人々が集まって来てくれている。

助け合い、喜びを心から分かち合い・いつなるときでも無駄という時間と人物はいない。

すべて自分には必要な事・

人生というラインを一歩引いたところから客観的に見る事が大事。

ついついわかっていても、そのラインに戻ってしまってあたふたしている自分がある。

あー入ってるなーと思って、また引いてみる。それの繰り返し。

‘愛への帰還‘という本が好きなんだけれど。 少しづつ本当の自分に(みんなが持っている本来の自分)

戻っていく作業を思い出していくだけ。経験を重ねてゆっくりと歩んでいく。


私は朝の瞑想が好きだ。

アロマの香の中で長い時は1時間ぐらい。 それをするといろんなゴミが体から出ていって、

小さなくよくよや、怒りなんかがいとも簡単に取れてしまう。それどころかみんなに感謝してしまう。

時間が経てば時としてもどってしまう時もあるけれど。笑


本当に今の自分を愛して認めてあげることって、時として難しい。

日本の風土や家庭環境などでへりくだる=そんなそんなおこがましい事。。。なんて


夫婦間でこの関係は如実に出た。

自分が最初主人を上げ祭った結果。→木に登らせてしまって=私が爆発。(自分がやった事なのに!)

人がいてそれぞれの人との間で自分も切磋琢磨して成長していく。

自分が招いた事なのに自分の作ったことに対して怒っていた。

なんて自分勝手。

この先そのままの自分でいて、自分なりに精いっぱい生きた結果どうなるか?

導かれた方向へ行ってみようと思っている。

それがどういう方向なのか私にもわからないが。。。

おまかせの人生。 人を尽くして天命を待つ。って本当にそう思えるようになった。

いつも努力してこそ、そののちに前が開いてくる。なんて根性ものをいつもやっていたし、自分からそれを選択していた。しなくてもいい時もあるの(必要ない時)に、事をあえて選択してややこしくしていたきらいがある。

そうじゃあないことがやっとわかって来た。


今日友人たちが写真を送って来た。

宇宙でとられた‘宇宙の目‘の写真。

この目に向けて7つの願いごとをするといいらしい。

私はもちろん‘本当の私を見せてください‘が一番最初に来た。




私の知り合いが長い間の交際を得て結婚をすることになった。

男性は家族があった。 6年の長距離恋愛を得てのゴールイン。女性側は仕事を持っている自活できている人。

彼女いわく‘彼が子どもと奥さんに収入のすべてをあげても私は彼の才能を分かっているし、サポートする‘というもの。いさぎいい。

彼女は苦労人、一から今の地位を自分で築いてきた。だからすがすがしくさらりといえる台詞。

彼女が彼といると‘魂が喜ぶ‘らしい。 愛してる。好き。 を越えたこの表現。

だがこの表現はとっても理解できる。

私の場合はその人の傍にいるだけで、その人の大きな魂の中で自分の魂が安らげる場所を見つけたかのごとく、ひれ伏している様子が見えた。 その人がどんな状況であろうとも、人から何と言われようとも色眼鏡で見ることもなくただ心の目で見ていたからだろう。 

喜んでいた事に正直にそれに対して突き進んでいった、いさぎいい女性。

喜んでいたのにもかかわらず、そんなうまくいくはずがないと恐れを選択していけなかった自分。

人生に如実に表れている。

かといえば家族と子供の成長のため、そのまま留まり2つの関係をうまく?やっていっている人。

それは彼らのそれぞれの選択。

自分の意思を持ち続けていれば、、今後どうなっていくのだろう?