自分の魂に正直に生きる。 それは簡単でもありこの世の中では難しいものなのかも知れません。
もしかしたら家族や周りの環境日本の世の中全般からしたら、全く相反することかもしれない。
自分の選択がはたして(エゴの声)なのか(魂の声)なのかの区別がわからない時。
どうしますか?
大体の場合選択が間違ってなければ自然と目の前が開けてくる。導かれて行くような感じ。
以前私は魂が喜んでいることを、いろんなしがらみや自分の今までの生き方から得た考え(恐れ)によって
選ばなかった。
ただ私の場合、恐ろしいことにその選択の機会はまた廻ってきた。
自分を試すかのように。 いろんな状況から。。あるいは出会う人々によって。
たぶん自分の魂が強く懇願しているのだろう。 これがもう最後かもしれない。
これを選択するのか、しなくて後悔しながら(だって仕方がなかったから)と言い訳をしながら生きるのか。
私の今の周りの人々は強い。 守られて生きている主婦の人々とは違う。
何を意味するのか? 自分も主婦の身でありながらこの周りに集まってくる人々を見ていると、私の魂が選ぼうとしていることはこの自分の目の前に広っている事が物語っているのではないか?
自分を愛すことができないのに、人を愛することはできない。
自分が幸せでなければ、人を幸せになんてできない。
自分を愛することは我ままでも、身勝手でも何でもない。それがやっとこの年になってわかったような気がする。