昨日Xで、実質開発にかかわった井上愛一郎さんに取材が来なかった、とご子息が言っていらした。
最後の集合写真で真ん中に映っていらしたらしい。なのに内容では一切言及されていない。
いえ、今回は文句というか疑義というか、そのようなものをいうつもりはないのだけれど、
このXでスパコン京(今は後継機の富岳)の開発の裏側を新プロジェクトXで配信されたということを知りました。
京の文字は、書家の武田双雲さんのものということは既知でした。
理研の神戸に置かれているのも既知でした。
なぜなら修士では並列コンピュータ(スパコン)の研究室に入ったからです。
(その後いろんな事情で人工知能の研究室に移動したのだけれど(大揉めになった💦おさめてくださったのが重鎮の副査の先生んだんたけど💦)
で、この配信を見て、途中で木村康則さんが出てきました。
知らなかった💦
奈良女子大学の修士にいた際に、夏季特別講義を受講したんだけど、
その時の講師が木村康則さんでした。
富士通の研究所にいらしたのは知っていたけど、京にかかわっているとは知らなかったです。
休憩時間に昼食をご一緒にどうですか?と皆でお誘いしました。(所属研究室の主催ということもあり学生が接待?w)
こぢんまりした食堂に皆が恐縮していると、奥様も奈良女子大学の先輩ということで、
キャンパス内を堪能されていました。
その時の木村先生がご出演!
最近撮影されたのでお年を召されて最初お顔では記憶が蘇らなかったけど、
お名前の字面を拝見し、
???????
???????
???????
!!!!!!!
ってなりました。
時を同じくして夏季特別講座の第二弾では、データベースの講義がありました。
(上に書いた副査を快諾してくださった先生の講義。COBOLを開発し、IPAの情報処理技術者試験の監修をされていた先生です。)
そこで修士に入学して所属研究室を決めるときに「データベースなんてもう死んでるよ」と辛らつな言葉を残した新進気鋭の並列計算の指導教官が事前に私のことを「主婦あがりだから絶対受け入れない」(美人で優秀な学生が大好きな先生)と言っているのを学年主任の先生との面談で聞き、
ショックだけれど、その理由を是非伺いたい、と(社会に出るときの弱点だとか人の思い込みを知りたかった)、
否定しているのに面談を申し込み、話をしているうちに、
(そこまでして来たいのか)とか勘違いされたのかどうだか、で、
その場で配属が決まりました。
そんな経緯があってSEの時にADBSというデータベースの機能→RDBという機能にシフトさせる仕事をしていたので、「データベースなんて。。。」をショックに受け止めていました。
当時の大学にはデータベースの講座がありませんでした。
なので、近隣の仲良くしている奈良先端技術大学院大学というところで教授をなさっている先生に来ていただいて、
情報処理をするなら必須知識であるデータベースの学術的知識を講座していただくことになったのです。
(並列計算の教授は、学部が大阪大学で、修士と博士は奈良先端技術大学院大学の短期修了なので、そのご縁で。)
この時に、「データベースまだあるじゃん。生きてるじゃん。生き字引というか、この先生のご存在が証明じゃん」っておもって、京都大学の博士はデータベース学の先生のもとに進学しようと思ったのです。(他は全滅で受からなかった。まあ専門外だからね。)
。。。そんなことが蘇ってきました。。。。
すんごい人に授業してもらってたんだな~。。。しかも現役のメーカーの研究所のえらいさんだもんな~。。。
有難い環境だった。。。
それまで私の周りには一切博士という名の付くものを持っている人は(修士も)皆無でした。
勇気をもって飛び込んだご縁だと思いました。
学術的には優秀だけど、一般人としては偏屈な人が多かったので、
なかなかしんどかったですけど、
自分も学力をつけようとしたり、学ぼうとする姿勢を見せたら、
つたないながらもお話を聞いて下さる人ばかりでした。
それまでのコミュニティ、特に家族とかは、
なにをどう工夫しても一旦リジェクトしたら、
ずっとリジェクト、
「それだけいうんだからなにかあるのでは?」
「改善されているのでは?」
とかが全くなかったので、
そっちに沼っていったんだと思います。。。