今朝無事にスーツケースを引き取ってもらいました。。。。
一番大きなそれに入っていたもの。。。。
ツーリストさんに用意してもらったチケットの綴り。日程が書いてありますねw9月3日にこっち出てフランクフルト経由でクラクフに入りました。12時間フライトしても当日のお昼w変な感じでしたw(戻った感じ)。で、クラクフ~フランクフルト便が取れなかったので、一旦ミュンヘンに寄ってからフランクフルト~関空。帰りは向こうを9月9日、娘ちゃんのお誕生日当日に出ました。12時間フライト+時差のプラス7時間。はいお空の上で終わってしまいました。。。ごめんよう💦ってとっても思いました。まだ小学生だったしね。おばあちゃんに来てもらったけどやっぱりママじゃないとね、なお年
読めませんwなんとか工科大学というところが会場w 市中は若い人は英語OKだけど年配の人はポルツカだったので困りました。なんなら英語も達者じゃありません💦二日目の帰り道迷って、同じ研究室の中国からの留学生後輩君が英語達者なのでお願いしていました💦
プログラムw 複数のサブ会議が並行している大きな国際会議でした。
で、スーツケースにお守り代わりに貼った直前に撮ったプリクラ。もう今はみんな原型をとどめていないのでwblogに貼れたりしますw
(念のため小さくしておこう💦大昔DVで逃げた身だしね💦)
一番ちっこい僕が一番大きくなりましたw半分本気でジュニアに入れたかったw可愛かったんだよ~←超親バカw お姉ちゃんも今はメイクで素の顔をたまに忘れちゃいますw
で、色々大型ごみを搬出した後、本を整理しながら詰めました。不登校していたけれど家で頑張っていたころのノートとか、高校ちゃんと受験して合格したからその先のノートとかも出てきました(その後また不登校になるのですが…)
で、私がいただいが博士論文のいくつか(謹呈してくれはりますw)
今見直すと、『あれ?こんなんでいいの?』という印象。どれもこれも。博士論文だから、もっといーーーーっぱい書いてあるんだと思った(一応基本は英語で執筆します←日本語で書きます!でも全然OKだけどね。同期の一人は日本語で書きました。)
以前は、ビビりまくって、委縮して、一文字も入ってこなかったけど、パラパラ、、、、INDEX、、、グラフ、、、数式、、、あれ、、、? 怖くない、、、どころか、『え、こんなんでいいの?』って思えました。
どうして書けなかったんでしょうね。。。。色んな思い込みや重圧があったんだと思います。先に博士論文を執筆して修了した同同期が何かの時に周囲のスタッフ(先生たちや秘書さんたち)に言ってたのを覚えています。「なんであんな風に思っていたんやろう、、、って今なら思います。」って。この感覚だったのかー!って。
17年かかりましたwwww 遅すぎるwww でも執筆して博士公聴会合格して見事学位取得した人しか感じられないことだとしたら今までかかったけど嬉しいです。。。乗り越えられたような気がして。
ほんと紙一重のそのちょっとが私には出来なかったです。。。もしストレートであのままどこかへ滑り込んで助教とかポスドクとか出来ていたら、やっぱり子どもたち連れて行っていたし、そうするとまた転校だし、もしかすると今以上に大変だったかもしれない、、、
子どもと生きていくために(未成年の時は育てるために)学位取りに行ったけど、離れ離れになったり(まあ実母はそんな重圧絶対無理で拒否だけどw)するのは、本末転倒だったから、きっとこうなって良かったんだと思います。
思春期など揺れ動いて不安定な時、って、自分の頃を振り返っても、親が定期的に家にいたほうがいいと思います。いっぱい当たられていっぱい翻弄されて、病院も警察もいっぱいいったけど、子どもたちと生きたんだから。
お姉ちゃんがまず自立して旅立って、ようやく、「これでよかったんだ」(親としての責務を最優先した)と結論付ける事が出来るような気がします。。。
本当に自分を責める人ばかりだから(能力がないとか不器用だとか)在学中に命が危なくなる学生がたまに出ちゃうんです。東大とかも多いですよね。表に出ないけど。実家も親戚も周りも期待しているから、まさか、学内でうまく行っていない、なんて言えない。
以前は、知らない事だらけで、世界的に頭のいいひと、とか、政治的に頭のいいひととか、目の当たりにして、本当に重圧というか、こころが押しつぶされて、しかも本当に寝食取れないし、オカシクなっていってたもん。。。。誰にも言えなかったし、言ったとしても、全然理解してもらえなくて、『またまた~。。。ご謙遜を』とか本気にしてもらえなかったり。←やっと言ったのにね。。。
そんな狭間でもんどりうっていたから鬱も良くならなかった。。。親友って思っていた子に告白してもそんな感じ。(もともとその子くらいしか友達いなかった)
今もリアルの友達いないから理解者がいないという意味では、本当に虚無で苦しいけど、でも、その分3人でタッグを組んで色々凌いで生きてきた、という意味でも、やっぱりちょっとここで、ほんのちょっとくらい、『頑張ってきたんじゃないかなあ』って自分と子どもたちに言ってあげたいです。
自画自賛すいません。。。。初めてガチで自分たちをねぎらうかも。もっと頑張れ、もっと頑張れ!!!もっとっもっと!!!って自分たちにムチ打ってた。。。
世の中の競争論理に巻き込まれるもんね。。。シンママだからリソースがないのに、巻き込まれて、当たり前に一方的に殴られて。。。意地悪だったなあ。。。周り。。。
息子君が行った高校でも進学に関する言葉『大学は一番大きな買い物です』を聞いて、ビックリして全部飛んじゃったもん!!!
私は学は買い物だとは全然思っていなくて、真面目に修業して成績残したら学費免除してもらえるし、いくらお金積んでも成績に反映されない事だっていっぱいあるし、、、何言ってんだろ、、、って思いました。。。
確かに、京大とか東大の親って太い人が多いらしいけど、苦労している学生も結構いたし、博士課程の子とかそうだったよ、、、奨学金貸与してもらって、頑張って成績残して免除してもらって。ひとり親の同期だっていたよ?地方の公立から来ていたよ?まあ稀有だったかもしれないけど、、、でも結構いたよ???
留学生だって国費で来ている学生がいたよ???その分業績必要だから、本当に大変だったようだったけど(なんなら私の研究ちょっと取られたw←先に形にしたもん勝ちだしね💦←当時は納得できなくてショックだった💦←誰にも本心とかアイデアを言わなくなった💦)
彼の母国の指導教官は東京大学の教授を併任なさっていて本当に本当に厳しいお人だそうです。
うちのボスはその教授を先にご存じでお預かり状態だったからちょっとは居やすかったと思うけど。。。
私が体験して見聞きしたことは、まあ制度上、授業料とか納入しないと、除籍になっちゃうから、必要最低限は要るけど、アルバイトしたり、奨学金貸与していただいたり、遊興費に使わないじゃん。。。。そことは違う厳しさで一杯の業界でした。。。
いつだったか教授が言ったもん。『お金で済むなら簡単やん』って。ほんとそうだと思う。。。信念とか概念とか心とかお金で買えないって本気で思っている人たち。。。
だから倒れてしまって、余計な事をしてくる人が離れていって、それでよかったと思う。。。うん。。。。