去年のクリスマス何してた?
自分のブログを遡ってみました。
去年の今頃は大阪の病院の事故でメンタルがた落ちで、
神田沙也加ちゃんがいなくなって寂しくて、
、、、でした。
イブまでブログ開いてました。
ですが。
思い起こさせますか。
いいけど。
今も昨日のショックを引きずっているとやっと自覚しました。
不安が限界みたいなので、
ちょっと多めに頓服します。
トピに上がっていたので、
読ませていただいてしまいました。
何年もに渡ってではない場合、
全部読んでしまいます。
自分のかつての事故のような出産(手術)のトラブルを思い出しました。
どんな刺激も弛緩発作に使がりかねないので、
個室は暗室にされていました。
音も光も刺激になるのでダメでした。
点滴の針が刺激になって血圧が上がって、
夜中に看護師さんが舌下剤を取りに何度も走りました。
それぞれの科の先生が順番に来られました。
VIPだなあ、、、ではなくて、相当悪いんだと解りました。
我が仔に会うまで5日かかりました。
支えて貰ってやっとたどり着いた新生児室で、
娘は黄疸がきつくて光線治療をしていました。
未熟児だったので光線治療の際の目隠しは大きすぎて、
彼女は顔の殆どを覆い隠されいて、
やせ細った体以外は見れませんでした。
へなちょこな出産になって、
両方の命も危なくて、
なんなら手術室で蘇生されて、
お母さんなのにごめんなさいしたのを覚えています。
そのときの感情の揺れさえ刺激になるので、
また具合が悪くなりました。
何をどうしても具合が悪くなりました。
一か月もっと入院になりました。。。
、、、、を思い出しました。
頑張ろうにも頑張れなく、
どんどん体が悪くなっていきました。
。。。。というのを思い出してしましました。
立派なPTSDなので、
あたかも最近起きたように辛くなってしまったようです。。。
。。。とさっき気づきました。。。。
初めてのパニックは、
手術台で抜管したのに呼吸が戻らなくて、
『あ、これ、ダメかも、、、』
とまた墜落して(意識がなくなって)
再び戻った時に、
たいそう苦しくて、
やっと体が動いて、
吐けた、あと、
息をどうにか吸うことが出来て、
怖くて怖くて、
『苦じぃ~・・・・』って、
手術台の上でゾンビのように上半身を起こして、
手術台からストレッチャーに乗せ換えようとしている胸元のスタッフさんの、
まさに胸ぐらをつかみに行きました。
スタッフさんに力づくで振りほどかれて、
ストレッチャーに寝かされたのを覚えています。
見捨てられたとその時思いました。
やっとのことで病室に戻り、
意識もうろうとしている中、
周りの会話は耳に入りました。
相当厳しいであることなどなど。
しばらくICU管理であることなどなど。
朝がた猛烈な吐き気とともに目がさめかけ、
誰も気づいてくれなかったので、
緊急手術だったので、
内容物が噴出してしまいました。。。
また苦しくて暴れました💦
それから冒頭に書いたように、
しばらく、
何かあると、
看護師さんが走る事ばかりが起きました。
網膜浮腫で目も見えなくなってしまっていました。
どんどん生きる機能がものすごいスピードで失われていき、
本当に恐かったです。
今思うと、
何か刺激があるたび、
調子悪くなって、
なんなら悪くなりすぎて、
パニック発作を通り過ぎていたのだと解ります。
あれから数年は、
麻酔が怖くて、
歯科医の麻酔でも、
いざ、する、となったら、
とたんに具合が悪くなって(パニック発作だと思います。診察台で起こりました。)、
歯科医なので理解が無く、
変な患者だと帰されたりしました。
というのとか思い出しました。
もう、30年近く前の話なのに、
思い出しました。
ヤバいと思って、
トピのブログを読むのをやめたのに、
実は遅かったようで、
具合が悪くなっていき、
予期不安が強く出てきています。
咳喘息も出てきてしまいました。
参りました・・・。
自分を落ちつけたくて、
blogかいています。
というか、こころが孤立したくなくて、
blog書いて読者さんとつながっていたいと、
潜在的に懇願してるのかもしれません。。。
やってしまいました。。。
ていうか、、、
たぶん基盤にASDの特性。
死ぬほど怖い思いをしたので、
(ガチで死にかけた)
偏桃体が過活動しています。
ドキドキドキドキ。。。。
blog書く前に頓服多めに飲みました。。。
効いてこないかなあ。。。
明日診察なんですけど。
しんど過ぎて行けない、ということにだけはならないで欲しい。。。
年内たぶん最後だから。