ありがとうございます。 | ♪よこしま☆ちゃんの日常♪

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~ ゆるゆる生きる ~

 

 

今年は二次障害の鬱が強いようで、ともすれば不快な内容しか記せていないかも、ですのに、

PVをして下さって、皆様本当にありがとうございます。

 

幼い頃から繊細というか敏感というか、今でいうHSCであったと思われ、

傷つきまくって自尊心のかけらもなく、

自分を痛めつける事しか出来て来ませんでした。

 

体調が悪くて休みたいのに、

医師にもそう言われているのに、

いざそうすると、

とっても怠けているように自責してしまいます。

 

なので芯から心休めたことがなく、

回復が見込めません(´;ω;`)

 

複数人のスピリチュアルな方からフォローいただいていて、

また幼き頃はそのようなものにとても心惹かれ傾倒していたことから、

少しは気になっています。

 

そのような観点からすると(まあ、実際の臨床発達心理学の講義でも習いましたが)、

私はアダルトチルドレンの素養どっぷりです。

両親にとって初めての子で特に父は喜んだそうですが、

時代は男子を好んだようで、

弟が生まれすぐ母は弟につきっきりになりました。

 

母は不器用で二人を同じように育てる事が出来なかったようで、

弟を妊娠してから私を独りで外に出し遊ばせるようになりました。

 

発達心理学を知っている人が多いということを想定してあえて記しますと、

私はとてもとても強い分離不安を持つようになりました。

 

弟を身ごもっているので私は当時借りていた借家(平屋)の庭で自然と遊んでいました。

 

アマガエルちゃんがいつもなぜかいて、当時の2歳児の手にも小さなそれが可愛くて、

とっても可愛くてつかんだら、アマガエルちゃんは動かなくなりました。

 

母子手帳にの発達欄にありますが、二歳児そこそこだと、まだ指それぞれに上手に力を伝達することができず、

摘まむというより握ってしまいます。赤子が大人の指を握るのが解りやすい例です。

 

それゆえアマガエルちゃんと仲良くしたくてもうまくいきませんでした。

 

たまたまそれを見た母が『カエルをつぶして遊んでいる!』と言いました。

 

私はビックリしました。まだ発語は出来てなくても聞き分けは出来ていたと思います。

 

『わたしは相当に残忍で命をもてあそんで喜んでいる人間なんだ』とその時自分にその言葉を刷り込んでしまいました。

 

父が子どもだった頃、カエルに対して残忍な遊び方をしたと言っていました。

 

それで想起したのか、見ていなかったくせに、動かなくなったカエルちゃんを茫然と眺める私の姿に対し、きっと子どもがカエルで遊ぶということは残忍な方法に決まっているだろう、とレッテルを貼ったのです。

 

以来、私は、何かと残忍でした。そう思うことにしていました。

 

私がなにか行動をすると残忍なことになる、と。友達を作ろうとしませんでした。庭の自然のお友達とも遊ばなくなりました。

 

籠っておとなしく動かず裏紙に絵を描くようになりました。そればっかりしていたので3,4歳にしては相当写実的な絵(実際の庭と門と家など)を描きました。

 

そう、命を描かなくなっていきました。

 

だから、私は、怯えてしまう大きな声を出す人間を恐怖だと思います。潜在的に。

 

活動的な子どもを恐怖だと思います。

 

。。。などなど、あの幼き頃にやめた(封印した)言動です。

 

みなさんがもしかして知っていることばでいうと、

 

サイレントベイビーでした。

 

親に何かを訴える事も、そうじゃないよということも、何もかも全部諦めた大人しい大人にとって育てやすい子(従順という名の迎合した子という意味)でした。

 

私の優等生はそこから始まります。

 

誰かの願いや依存や期待を叶えるという優等生が。

 

あれから私はたぶん居ません。

 

本当の自分が姿を消したので。

 

だからあのカエルちゃんとのことに関して、母の、

 

勘違いを解いて

浴びせた酷い言葉を訂正して

私はそんな子じゃないんだ、と、母の中の私のイメージを根底から覆して

 

ってならないと私はあのレッテルの私が私なんだという呪文というかそのようなものにかかっているように思います。

 

母は忘れているでしょうし、もし、口を開いたといっても、

「この私がそんなことをする(言う)はずがない」

が常套句。

 

ね?

 

サイレントベイビーになるでしょ?

 

自分がしたことをまったく覚えていないんだから。私が物心ついたときからそういうスタンスだったので、母は若いママだったころからそういう性質でした。

 

私が両親ともの幼過ぎる部分を受け容れてその中で成長しなくてはならない環境でした。両親よりも弟を想っていたと思います。(これにも弟は気づいていないけど)

 

父も母もきょうだいの下の方で、そこに私と弟が生まれ、長子だった私だけが、なんだかのけ者というか、価値観というか責任感というものが他の三人と違って、ひとりだったように思います。

 

だから、どれだけ仲良くなっても、どれだけ思ってくれる言葉を発してもらっても、いざとなると逃げる人ばかりだったから、

 

『ほらね?』って自虐しちゃいます。

 

今からでもどうにかなりますかね。。。。

 

明日診察なんですが、体調によっては診察に行けるかどうか、、、、面と向かって同じ部屋にいて受診しないと昨今の電話診療ってなんだか伝わっていないように思うんです。

 

遠慮してその言葉にしちゃっている様子だとか、

身体の実際の不具合だとか(今は震えたり力が入らなかったりします・・・PCの打鍵は押し込みが軽いので大丈夫です。)、

色々総合的に見て欲しいからです。

 

お医者さんは手に負えない、、、って私の事、しないと信じて。

 

というか、こんなサイレントベイビーだった人間のどこか手に負えないんだろう。。。

 

言っていることが理解に至らない、というなら解る。説明する。でも、耳を貸しもしないで私を疎外する事なかったろうに。。。

 

家族に(特に母に)、仲が良くなかった父に容姿が似た私を嫌悪されたことが始まり。

 

多くの人が見た目なようですが、私の親が一番見た目、、、だったので、本当にショックです。

 

私は父ではありません。似ているけれどまったく違う人間。そのくせ、父が私にやさしいと本気で嫉妬したようです。

 

彼女が彼女を生きるのに(母の事)ずっと延々とてんぱっていたのかなあ。。。。

 

 

 

とまあ、ちょっとだけ書きました。

 

インナーチャイルドの概念は既知です。私は泣くと父にはウザがられたので、悲しくても辛くても悔しくても泣きませんでした。泣くことを許されませんでした。だから、私の中の幼い子どもは泣きません。どんなに辛くても泣きません。うるさいから泣くな!と殴られていました。

 

息をひそめて存在を潜めてただ迎合して親は立派だと崇拝して世間体のいいところに帰属していないといけなかったのです。

 

私は、、、、

 

私を生きてきたのでしょうか。。。。。

 

なんだか空洞な気がして。

 

人生はあるけれど、主人公がいない気がして。

 

ちょっと危ない言葉でいうと、同一性障害ですね。。。

 

ほんと危ないなあ。。。。

 

やっぱり這ってでも通院出来なきゃ。

 

自分を取り戻さなきゃ。

 

あの時消え(ようとし)た私を救いに行かなきゃ☆。

 

酷いことを言われてただただショックを受けて自分を無くしてしまった私を抱きしめにいかなきゃ☆