Mahler: Symphony No. 5 in C-Sharp Minor | ♪よこしま☆ちゃんの日常♪

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~ ゆるゆる生きる ~

 

 

有名過ぎるアダージョですよね。

 

 

 

 

 

こちらコラール版。

 

 

昨日、

 

 

こっちを頑張りました。

 

体調が悪いので頑張らないように言われていたのですが頑張りたかったのです。

 

 

私は何か興味を持ったものについていけなかった事ばかりで(こういう解釈でいいのかなあ)、

置いてきぼり感覚が強いのです。

 

例えば、歩くスピードが違って先に行くことが殆どの息子君は、あれ?って振り返って、戻って来てくれます。

 

それが本当に嬉しい。

 

稀有だからです。

 

特に優秀なそれらに惹かれてしまう困ったところが私にはあるようです。

 

優秀なそれらたちは速いのと戻って来てはくれないのでたとえば休んだり転んだり怪我したりしたら、

その場にぽつねんと居るしかないのです。

 

昨日の配信が一連の講義のラスト配信でした。これからは実践になります。

 

講義の最後だったので先生はいつもより二次会が饒舌だったように思います。

 

興味を持った社会人が博士課程に進学したいときはどうしたらいいかを質問していました。

 

また大関先生は東北大や東工大で教授をされているのでスキルは大丈夫かなども質問していました。

 

先生はスキルより、とにかく前に進む人がいい、と言っていました。

 

これに私は反応しました。

 

『背景を調べようとして、そこに行ってしまって、いつまでも図書館から帰ってこない学生がいます。”本でも書くの?早く帰ってきて研究しなさい。”ってことですね。』と。

 

帰ってこない学生=私、でした。。。。

 

そもそもの知識量が足りないのです。博士課程は工学系に行きましたから工学系のバックグランド(学部で習得する知識)が無いと思いました。

 

研究に使う工学系の基礎と、応用先に使う例えば心理学や教育学、認知科学の基礎も必要だと思って、餅は餅屋で、工学部の図書館や心理学科(文学部)の図書館や認知科学(文学部医学部工学部)に通いました。

 

大量の知識からまずは自分に必要なこれらの知識のうちこれまた研究に必要なものを抽出し、それで方向性を決めていました。

 

でも、方向性は、大関先生によると相談というかその中でこっちに行ったほうがいいんじゃない?ってするらしいです。放置とおっしゃいますが、実のところ先生が決められるようですね。

 

。。。ん~。。。書いていてわからなくなりました。。。。

 

頃合いというか、調停というか、塩梅というか、放置の線みたいなものがあるとは思いますが、矛盾もそこそこ含んでおられると思いました。

 

まあ、要するに、いいもわるいも、とにかくがむしゃらに手を動かす。つまりそれはいっぱいとにかく動いてアウトプットする。考え込む前に動いてデータを集める。データが集まったら、それを解析する経緯などを論文にする。それが先生のおっしゃる研究スタイルなんだな。。。って思いました。

 

研究室によっていろいろ違うと思いますが、博士課程になって、研究室のスタッフみたいなことをやって、後輩の議論につきあう。。。というのは建前で、後輩の相談にのったら共著に名前を書いてもらえるから、そうすると自分の名前が入っているので、業績にカウントできるんですよね。。。。何かの学会に加入してそこでも運営スタッフをすることでその学会での地位を確保できる。。。学外の先生と仲良くなる。。。。自分に知識を蓄えるというより、知識のある人と関わってブラッシュアップしていく自分を経緯とともにアウトプットする。。。そんなように映りました。

 

私はそこでも独りでした。大学での時間が終わったら家の事に専念したからです。大関先生は「リモートが当たり前になった今、ちゃんとオフを作って研究だけ、という人生でなくさないと」と仰いました。今回の実践もチームを作って、自分がどうしても参加できない場合(会社だとか高校とか部活だとか)は誰かに託す、ともおっしゃいました。私も第一著者の分でも誰かに発表してもらってもよかったのかもしれません。でも自分の口でしないと理解が変わってしまう怖さに勝てなかった。それに代わってもらうとすると、代わられた人は常駐している人になるので、やっぱり負担が偏る、と思います。

 

満遍なく、、は、、、出来ないのでは、と思いました。。。。。

 

もう!!!! 何書いてるんでしょ。。。こんなこと書きたかったのかなあ。。。。

 

平素なら、他の方のほんわかするブログを参考にして、そうなりたいから、上の長文になっていそうなところをざっくり削ってアップします。

 

でもそれは、、、、私を押し込めてしまうことになるので、今日は怖いけどそのままアップします。。。

 

要するに、私が研究できなかったのは、手を動かすことが出来なかった(急に言われて動けない、という特性が強い)からだと大関先生に種明かしされたような気がして、

 

それは努力ではどうにもならないものなので、、、途中で病気をしてそれからも15年くらい悔いている自分を根底から無理だったんだから仕方ないよね、って言われているみたいで、辛かったです。

 

 

これからの命、どういきよう。。。。。

 

これまで何も残せていないです。。。

 

まあ、人の多くが、有名人でないし、研究者や音楽家や画家や。。。でないので、何か残す、ということをしていないのですけれど、

 

私はなぜだかそれが恐怖なんです。。。。

 

どうしてかなあ。。。

 

怖いのかなあ。。。

 

おそらく死が怖いのだと思います。。。

 

意識が無くなること、

 

人の記憶からきえてしまうこと、

 

などなど、、、、

 

無に憧れつつも、無が怖いのだと思います。。。

 

ただ時間や命を浪費しただけな気がして。

 

何も生きた痕跡が無い気がして。

 

生まれてこなかったのと同じな気がして。

 

。。。。

 

いのち、ってなんだろう、

 

いきる、ってなんだろう、

 

かんじょう、って?

 

いしき、って?

 

。。。。

 

いろいろ、、、、しんどいです。。。。

 

 

 

 

 

今はただただ美しい音楽(オーケストラ)を。。。

 

弦や管って息(風・振動)の音が聞こえますもんね。。。。

 

流れたり吹いたりするのかなあ。。。。

 

生きていると。。。

 

振動するのかなあ。。。

 

生きていると。。。