…と思った経験ありませんか?
誰にでもあると思います。
ふと思い出しました。
それが私の体調や人生に影響していることをやっと自覚しました。
思い出した順で言うと、博士課程に行きたくて学外の旅をしたときの事。
修士は当時の助教授のもとで獲りました。(今で言う准教授)
ご存知ないかたの為に補足しますが、博士課程の正規の(手続き上の)指導は教授でないとできません。
大学教員は一部を除いて博士号を持っています。そうして助教、講師、准教授と出世して、教授。
なので私は学外に進学しないと、でした。
そうして博士号から受け入れるのも今より少なかったと思います。
実際にアポを取って会って下さったのは指導教官を紹介してくださった現国立大学総長の先生と指導教官のみ。
そのうち紹介してくださった先生は「せっかくいらしたのだから実際に指導する研究室メンバーにこの修士論文見せますね」と。
お会いしてから暫くしてその反応がメールで来ました。
まあ、その評価が辛辣極まりない×閲覧した人の数だけありまして。
紹介先に行くつもりでしたからまだ受け入れられましたけど、修士課程に在籍しながらの訪問でしたから、
そのときの助教授も一緒に評価をご覧になったわけです。
そうして憤慨されました。
「言いたいことは解るけど、何もそこまで言うこと無いじゃないですか🌋」
そうですよね。
いくら正論と言っても現在の指導教官があるわけだからそこを鑑みたら多少の遠慮というか過剰な人数で過剰に過剰なまでの(ややこしい)評価をするべきかどうか、少しは考えたらいいのに、という観点はこぞって欠損しているメンバーが多い研究室だな、行かなくて良かったな、と。
けれど私を送り出す側の指導教官は言われっぱなしというか逃げ場がありません。
それを思い出したした。
合唱でもそうです。言いたいことは解るけど何もそんなやり方しなくても、そんな人数集めなくても、そんな役員使わなくても、そんな言動使わなくても…で終わりました。
昔、生前の父が金言をくれたと思っています。
「どれだけ腹が立っても(大きな感情や言い分があったとしても)相手を追い詰め無いこと」
営業職を長年していたり、出世して企業の役職をしていたり、女性を多く使っていたり、等々、人間の心理に対する知識を経験則で培っていた人です。
窮鼠猫を噛む、を人間に置き換えて教えてくれたのだと思います。
今で言うハラスメントをされた、と言えますかね(笑)
だからワタシは立場を利用する人を嫌悪します。
実際に企業や研究室や大学でもないのに役員顔して集団で偉そうにした団員たちを人として許すことは一生涯無理です。
民事裁判を起こしてもいいのですけれど審判の度に理不尽で不可解な事しか出てこないでしょうから、私もげんなりするし、それを恥ずかしくて弁護士に見せられない、とも思います。
…とまあよく考えたら、そんな恥ずかしい言動をたくさんで曝したと思えば、知らぬが仏にしてあげてるのはこちら。
…本当に他人に失礼な事をしても許されている複数の先方は恵まれているなあ、と思いますが、
その恵みを提供しているのだとしたなら、私も少しは世の中の役に立っていて、存在価値が僅かにあったりするのかなあ、と、ちょっと体調不良にすぐなるのに生きてていいのかなぁ(まあ、障害者認定受けるくらい苦しんで症状に出て完治しない恨みを持っちゃうけど)、
少なくとも私が傷つき切った私を、傷ついたきっかけとなる先方の人でなしな価値観で責める必要は何ら無いのだと、
こうして文字にしてやっと認識出来たので、もし良かったら、お人好し過ぎる細々と生きる私を応援というか、生きてていいんだよ、と、思って貰えると至上のよろこびとなりえます。
どうぞよろしくお願いいたします。
よこしま拝
(また真面目なブログになっちゃった😃💦)