人間の認知にとっても興味がありまして。脳科学者の中野信子さんのゆるいファンです。
まあ、なんとなく体調が悪いのもあるけれど、ただただ時間を垂れ流ししているような気もして、数学をしていたのですが、文字で解説された数学の定義や性質を理解して実際に問題を解く、というときに、シンプルに、『文字の羅列って文学な気がするのに、どうして数学として理解できるのだろう。。。。それを利用した次式からの記号もどうして数学的意味を持って理解でできるのだろう???』という思考が並列して沸き起こってしまっちゃうんですよ、私www
ね?変でしょ???
で、ことば、とか、概念、とか、認知とか、抽象とか、色々検索しまくっていたら、中野さんの記事を見つけて。もちろんそれまでも哲学者とか見つけました。けれど、私の中では哲学は文系、、、というか、ちょっと私の知りたいアプローチとはベクトルが違うというか、コサイン相関を取ったときにかなり離れている気がしたので、中野さんの記事を読んでみようと思いました。
それと、、、、タイトルにもちょっと惹かれました。そもそも私は言葉に縛られるというかとても引っ張られることを自覚しています。汚い言葉に遭遇してしまったら、その言葉に暴力を振るわれたように思ってしまい、心身ともにダメージを喰らうんです。。。。嘘みたいな本当の話。
以前、学習院大学から東京大学に行かれてそこで学位(私が学位というときは博士号)を獲られて、学習院大学にて教鞭を取られている先生(やっぱりリケジョの先生は憧れる。。。)にその憧れている旨をお話したら、『面映ゆい』と言われた、と書きましたよね。
面映ゆいです。。。。
私の周りにこの言葉を使う人は皆無でした。。。。面映ゆいって何???から始まって、、、「この世の中には私の知らない美しい様相を表現することばがいっぱいあるんだ!!!!」って思ってから、その先生とメールするのにも緊張とワクワクがとまりませんでした。大阪音楽大学の学長、本山先生ともFBでお友達していただいています。先生は普段相当長文を掲載されるのですが、そこで使われる言葉は私の知らない語彙が豊富で、それでその使い方が美しい音楽を奏でるようでいらして、やっぱりワクワクが止まりません。
そんな不思議な『ことば』
そうしてそれを理解する『脳』
この関係があるのかないのかあるのならどんな様相なのか、どのような仕組みなのか、知りたくて仕方ない
となりながら、表層では数学を理解しています。
もちろん数学的概念を構築する(書かれている日本語から概念を理解する)事だけでかなり必死にならないといけない状況の時は(たった苺が理解できない時が散見!!!w)数学的理解が出来なくて混乱してことばと脳の関係性なんてどこか行ってますけどw
それにしても面白い内容でしたw こう話す女性の人、やっぱり今の私の周りいは皆無だなあ。。。。知らない言葉、知らない論理的思考、知らない知識、、、知らない感覚、、、、それを発信してくださる人のコンテンツ、大好きです。
ブログでもそういう方たちをフォローさせていただいています。
というわけで、いつの間にかタブが100個近くなってしまったので、今から整理(絞り込んで順序付けてブックマーク)しますw
は~。。。抽象と具象はいつも難しい。。。。(´;ω;`)