(京大病院:作業療法棟)
さて、昨日、その後を書くといいました。
娘ちゃんに初めての代診を頼んだのです。
始まりは息子の不登校でした。そっちでバタバタしているうちに、娘ちゃんも学校を怖がるようになり不登校。
彼女も当時の児童精神科に通うようになった事が始まり。
今思うと当たり前ですが、そろそろ風評が分かる年頃で、自分がその科に通うことを自認するのは難しかったと思います。
ずっとずっとずっと、通院できず(当初は当然引率しました)、やっと行けても、怖くてどこか階段とかに逃げていってしまう。
診察室に入れない。
入れるようになってもすぐ飛び出してしまう。
兎に角、この科が怖い怖い、でした。
風評でいうところの、障碍者にされてしまう、ということもあったでしょうし、そもそも権威的なところ(京大は高等教育機関なので)は不登校だったからこそ、近寄れませんでした。
そんなこんなあと、彼女がどうしてもダメなときは私が代診してきました。
思春期の急性期には自傷ばかりで、こちらではなく、本館の救命救急室で縫合してもらってました。そのとき、主治医がいらしたら、駆け付けてくださるのですが、大学病院は主治医が移動になると引き継いで変わるのですが、その先生とすこぶる相性が悪いと思ったら、駆け付ける事をかたくなに拒否して、その場からすぐさま帰ろうとします。
そんなこんなな日々がずっと続いていました。。。
このところ、ずっと落ち着いて来て、弟がパニックを起こして、私は相転移しても、精神的に持ち直してくれて、頑張っています。
それもあって、「もしお母さんがどうでも起き上がれなかったら、代診やってみてくれる感じしてみる的な?」とぼんやりぼんやり、言ってみました。
帰ってくるまで、休めるに休めませんw
主治医の会議が間に入ってしまい、久しぶりに予約しているのに二時間待ち、となりました。
書いたように、その空間が基本苦手なので、以前なら、30分も待てば、怖がって脱出!!!!だったのですが、なんとその二時間も待てて受診できたのだそうです!!!
帰ってくるの遅かったので、超心配しましたが、
出来ましたーーーー!!!!!
10+α年かかりましたーーーー!!!!
うるうる(´;ω;`)
精神的に繊細な子育ては、本当に辛抱して「待つ」事が求められます。老婆心とかで先走ってはそれが圧力となってダメになることばかり。
研究者になるという超最先端の超高速な職場に居た私は、登山でいうと引っ張っていくところから、最後尾に行き、万が一先に行った子が滑り落ちてきても、底で踏ん張って受け止めて支えて、やがて自分で歩き出すのを待つというスタイルに一瞬で移行しなければなりませんでした。。。
まだまだそのスタンスは変わりませんが、特に彼女に関しては、このところの自律が著しく、その速さが危ういかどうかを観察する場面になっているととらえています。
私がやってきた色んな手続きも、自分がちょっとずつやってみる、と言ってます。。。
一気に疲れが出た、とはなっていません。まだ移行途中ですから、進んだり交代したり止まったり、色々繰り返しながら、表立ってのヘルプは控えますが、見えないところで下支えは続きますので。
だけど、本当に、よく頑張ってここまでこれましたー!!!!
と、ちゃんと、褒めてあげたいです。
私は生育上、どれだけ頑張っても、よくできる人と比較されて、「そんなの出来て当たり前」と、できないところを見つけて叱られてはいましたが、できたことを褒めて認めてもらった事が無いので、自己肯定感が欠損していて不安定です。
だからこそ、自分の子どもたちには、なんというか、安心感をもってもらいたくて、自己肯定感ももってもらいたくて、照れくさいけど、褒めたいと思います。
御清聴ありがとうございました。
引き続き、ぼちぼち生きて行けたらいいな、って思います(⋈◍>◡<◍)。✧♡