毎年、クラシック専門楽譜屋さん?のパナムジカさんからOXFORDのコラールCDが無償で提供されます。送料だけで聴けます。有難いです。
今年は早々に手に入れながら、聴いていませんでした。
は~。。。たまらない響き。。。。
出せていたのになあ。。。
30年来の親友が、脳梗塞で倒れました。
短いメールはできるようですが、まだ入院中です。
なんだかどうにか動くからだがあるのに、こころが傷ついたから、と、このままでいることが申し訳ないです。
いつか本当に動けなくなる時が来る。
本当にしたいことは何か。
身も心もささげたいものは何か。
考えています。
正直なところ、コロナでなくて、人の思惑で続けられなくなったことを、心底悔しく思っています。
研究にしろ声楽にしろ、、、そのほかにしろ、本当にえらい目に遭ってきました。
人が人を傷つける。悲しすぎて倒れてしまうのだと思います。
表向きは人が必要だからウェルカムのような顔して、いざ、自分の思惑とおりでないと、徒党を君で排除する。
そんな人間に、うんざりを通り越して、傷心を通り越して、私のこころは死にました。
神様にささげるコラールなのなら、どんな声が必要なのか、どんな努力が必要なのか、互いに切磋琢磨でいればいいのに、
排除、という形をとる。強いる。
能力とかじゃなく、ただただ、透き通った響きを天に届けたい。
皆で届けるのなら、波長の合った響きで。
ただ、それだけなのに。。。。
私の合唱のはじまりは、娘の命が助かるのなら、いえ、もし神様がもっていくにしろ、私がもっているもので、命を懸けてささげられるもの、
ということで、声だった。歌声だった、、、、それだけなんです。。。
いのちの声。いのちの波長。いのちの響き。
その結果、声楽のプロの方の指導に沿った、というだけで。
お金を払っているから、その先生の指導がその場に閉じているという商売気質なのではない、と。
先生もそこは生徒が感じ取ったことを声をささげあう仲間としてシェアしても、なんらお叱りにならないであろうと信じていました。
ましてや先生ご本人でない人に、それを判断されるのは、魔が差したというか、私にすれば魔でした。。。
自分を自分の意のままにする事でさえ、神への冒涜かもしれないのに、
他人を制御するという、しかもなんらかの高圧で、行うという、恐ろしいことに、私はおののき、倒れてしまいました。。。
こわくてずっと声が出せていません。。。。
もううんと委縮してしまいました。。。。
とうてい教会でお聞かせするには、、、、だと思います。。。。
なにがしかの侵略者は、嫌悪します。。。。