本当、ダメなんですよ。お別れ。生き物とのお別れ。老衰でも病気や怪我や事故などなどでの寿命でのお別れは当然ですが、基本、お別れ、はダメで、生きている方とのお別れ、も、またおそらく別の種類のそれだとは思うのですけれど、基本、受け容れられないんです、私。

 

依存気質だからかなぁ、、、、それがないと、自分がなくなっちゃう、って本当に具合が悪くなるんです、、、だから寿命の場合、脳内変換して、亡くなってない、遠くに行って逢えないだけ、としています、たぶん。

 

さっき、下の方で、青文字で書いた部分、その時の心情に、嘘偽りはありません。そのときのそれを、出来うる限りの過不足なく等身大というか、状態というか質量保存というか、そのような日本語で書いたつもりです。書いたすぐあとは、自分のその時の心情をありのまま吐露することがおそらくできたので、安堵したというか、アサーティブネスが出来たかもしれないという達成感というか、胸のつかえが取れたというか、そんな感じでした。

 

ところが、実際に、自分が吐き出した言葉を自分が処理する段階になって、ショックを受けている自分がいます。おそらく、自分が反対にこう思われいたのなら、堪えがたいからかもしれません。

 

もしかしたら消します。

 

思っても、言っちゃいけない事がある。

 

そうしていたはずなのに、、、、なにやってんだ?私、、、、

 

嗚呼、今日は、数学のカーネルの概念が入ってこない、、、、おそらく線形代数学の基礎の基礎のほうなので、考え方は新しいけれど難易度でいうと簡単な方なのに、入ってこない、、、、

 

3時間もやったら、その部屋と廊下と階段が別物に映るくらいごっそり変わってしまったということなので、その乖離度に自分が適応できてないんだと思います。はい、これ、ASDの特徴のひとつです。。。。そうお医者さんに教えてもらいました。

 

自分で制御できない特徴です、、、、だから障害なんだろうなー、、、自分の意志と感度(適応度)とがそれこそ乖離していて、なかなか噛み合わない、、、、齟齬がある、、、、は~、、、、

 

解析学は,「微小量の厳密な理論」というから、代数学じゃなくて解析学をやったら、ちょっとは概念的に自分の心理に落とし込めるかなぁ、、、、困ったなあ、、、、

 

というわけで、実は、解ける気持ちよさと同時にすがる思いで数学してます、、、、(それが物理でも情報科学でも興味がもてる分野でもよいのですが。)

 

この、記事、すぐ書かなくちゃ、って、って、なんでか、なりました。で、1つ前の記事の添削作業に移ります。