また暑さがぶり返したので、お団子ヘアにしました。
ちょっとちがう、、、(お借りしまくりw)
こんな大人っぽくないw
ちょっと近い?
(ベースはこんな可愛く若くないw)
でもまあ、背が小さいので若くなっちゃうかも。
それにしても、ずっと忘れていた顔になった気がする。
ずっとどよ~ん、ってしてた。お薬とか病気のせいもあるんだろうけど、
昨日の飛び込み診察で初めましてだけど長期で病棟勤務されていた私よりちょっと人生先輩先生とお話しして、
発達の世の中の認知がやっとちょっとずつ出来てきたことや(文科省では2003年(2002年?)にもう通達されていたからね)、
私がぼっきり折れた事を理解してくださったことや(先生ももちろん研究者だし)、
何よりそれを言語化してくださったことで、
ようやく「それでこんなに大変だったんだな、、、そりゃそうだ、、、多くの他者によるアイデンティティの崩壊だったんだから」と、
振り返る事、つまりちょっとは過去のものにすることができたきがしたからです。
十数年前に息子の主治医に(また京大病院外来に戻ってこられました)『話が冗長で解りにくい』と指摘されて、それで困惑して、すっかり自信を失くしてたんだけど、
今回の先生はそれにも耳を貸してくれ、「いいえ、とっても解りやすかったですよ。これまでの事を網羅的に簡潔に言ってくださったので解りやすかったですよ。」と。
どうにもこうにも言葉にならない、自分の中でおそらくずっと叱られて矯正された価値観というか情動のようなものが最近ふつふつとわいてきていて、もう辛くて辛くて、
とにかく客観的論理的で知的主準がすこぶる高いとおぼしき京大医学研究科の医師(指導教官も一目置く)に認められた、
というのはとても大きかったと思います。
研究者というのは(特に京大かもしれないけどw)、独自路線を行くところがあって、あるいはそれまでの生育から、偏屈になってしまわれるコミュニケーションがちょっと苦手な方が多くて、どんなことも人の事を認めない、自分こそが、みたいなところがあって、特に指導教官はその特徴が顕著だったから、本当に院生や特に博士課程の学生は進路が難しかったのです。
前におられた神戸大学の学生だと、もう先生のイエスマンな子ばかりだったようですが、京大となると、やっぱり先生と似ているw部分を持っているから、自分の意見にはオリジナリティ(アイデンティティ)があると思っていて、それを矯正されたり迎合させられることは自己崩壊になるので、やっぱりどこかしら譲らないというか、譲れないというか、失うと折れるみたいなところあるんですよ。
そんでもってお古いから対象が若かったり女性だったりすると、ほかの研究室の人にはしないけど自分の研究室の人間には、支配的であったんだと今なら振り返れます。
アカデミックなところだとそのような側面があると、昨日の先生はご理解されていて、現在、指導教官はすでに退官(定年退職)されたから、ようやく表にだせるというか、先生も「そうですね」みたいな事がいえる、子どもでもあるクラスヒエラルキーのようなものが業界であるんですよ。
ああああ、本当に、真面目かつ素直にストイックに勉強や研究をする人間にとっては、政治的な素養がほとんどないので、このようなことに巻き込まれても、ただただ自分が悪いとか、考えちゃうんですよね。。。。それが鬱の根源だったと。
それでドドドドーって疲れが出ているんですけど、同時にちょっと過去から脱出できた自分もいるみたいで、なんだかスッキリした顔というか、しがらみで浮腫んでないというかwwww
他人の支配的欲求に虐げられて生きていかないでいいんだ、って、芯から思えて、「これまでよく辛抱したね」「よく耐えたね」「よく暴力的な解決をしなかったね」って、そう思ったりします。
あ☆お団子ヘアが可愛い話が、こうなっちゃったwwwwww
今日はまた夏に戻りましたね。。。。さ、遅くなったお洗濯もの干しますね~、、、お日様でよく乾くのが大好き♡♡♡
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