どうでもいいけどなんだか釈然としないこと。 | ♪よこしま☆ちゃんの日常♪

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~ ゆるゆる生きる ~

 

 

ん、っと、、、、

二階のベランダが変わってたんです。

 

え?

あ、実家の、です。

 

普段あまり話さないので、知らなかったのですが、グーグルマップで知りました。

 

外壁を塗りなおしたのは聞いたんだけど、ついでに?ベランダを直したみたいです。

 

 

こんな感じだったのが、

 

 

こんなヤツになってました。

 

 

この画像のうち、左側のヤツだけだったのが、右側だけになった、という話です。

 

そうです、どーでもいいんですけど、

なんだか、なんだか、、、

父が亡くなって、17年?くらい経つんですけど、

その時も、

保険金だの、お墓だの、お仏壇だの、

えらい揉めてましたわ。。。。

 

私は、もうシンママしていたけど、

一旦外に出た人間だ、ということで、

手伝いはしたけど、

何も分けてはもらえませんでした。

手伝うだけ手伝った、というだけ。

幼子ふたり抱えて、借金して大学院いって、パートして、

で、手伝って、

残ったのは鬱病でした。

 

実家に、特に母にかかわると、

相当こき使われるので、距離を取っていたのですが、

そういえば昔、

お父さん子だった私が何かしてもうとなると、

相当母は怒ってました。

お金がかかる、と、怒ってました。

 

特別凄い事をねだったりしたことはありません。

ちょっとしたことで怒るので、もう私は実家を頼らなくなりました。

 

でも、残っている弟は、

いくら出来が悪くても、

浪人しても留年しても大借金しても独身のまま家に居座っていても、

特別なにもお咎めなしで、

父が遺した家の恩恵を受け続けています。

 

母が悪くなってから、どういうケアをしてくれているか解りませんが。

 

そんな事を知らないお隣さんは、おせっかいに、戻ってこい、と言います。

 

実家を頼っていないので、仕事の面とか、実家に戻ってあるのかないのか、

やっとここで培ったコミュニティーを棄ててまで、というのか、

なんだかよく解りません。

とにかく尽くせ、というわけです。

 

別に恩恵が無いからいやだ、というわけでもないけれど、

でも、幼い頃に、父の私に対するいろんなフォローに嫉妬して、

想い通りにならないと意地悪した母がどうしても怖くて、

でも、そんな母は、父の恩恵にあやかって、老後を裕福に過ごしていて、

 

なんだかな、、、って、感じです。

 

子どもたちにも、なんだか申し訳ない、という感じです。

 

バブルの時に建てたから、今では固定資産税とか下がっていて、そう無理はないのだろうけれど、

でも、やっぱり、

色々指示されたことに迎合しなかった結果がこうだったのか、と思うと、

どうしたらよかったのか解りません。

 

お金にしがみつくのはむなしいけれど、

必要最低限は無いとなんだか機会を失うし、

なんといういうか、

なんともいえない、

もやもやもやもやな気持ちです。

 

口先では、さも大変なように、言ってきます。

お隣さんもそう言ってきます。

実家の地域は、お医者さんとか頭取さんとか、経営者さんとか、色々住んでおられるので、

その基準でこられたら、

次の代がいろいろしんどいです。

 

なんでこうも、

奪い合いとか、になるんだろう、、、

なっちゃんたんだろう、、、

あの夏、本当に怖かった、親戚同士。

ただ、間に挟まって、

弟は名ばかりの喪主をして、

私は名もないお手伝いさんになって、

子どもたちもそれにピヨピヨ翻弄されてた。

 

そういう意味では、経済を手放すことで、

解放されたのだと思うけれど、

昨今は経済が主流の世の中のようなので、

やっぱり、なんだかどこかで子どもたちを不憫に思うというか、

弱り目に祟り目じゃないけれど、

どこか搾取されて、迎合するしかなかった、翻弄された人生の前半戦と、

その余波を憂いている私です。。。。

 

どうしてこんな事、思うのかなあ、、、、

そろそろお盆だからかなあ、、、

 

こころや思考がしんどいから、

身体はきついけど、

やっぱりちょっと勉強します。。。

 

目が見えなくて、頭に入らなくて、クタクタだけど、、、。

論理的に学問へ解放されることで、

現実逃避していたのかもしれないなあ、、、、色々。

そういう意味では、学問が私のこころや思考や現実を、

護ってくれていたのかもしれないなあ、、、

 

さ、書いてないで、やろwww