おそらく、基本、インドアの人間です。

幼い頃から、あまり丈夫でなく、家から外を眺める生活だったように思います。

母は弟が身ごもってからは、私に手がかからないように、と、外に行かないように、とも言っていたように思います。

だから、字が読めない頃は、家の周りの草木や小動物などと戯れ、家に帰って絵を描いていたように思います。

識字という意味では、あまり勉強ができた子ではなく、そうやってゆるりと幽閉された世界観の中で、日常を絵にしていたように思います。

 

そうやって毎日を過ごしていたから、たまに来る親戚に絵を褒めてもらいました。

書いていた数が相当だったからw

最初は、褒められる、という事が理解できなかったけれど、そのうちに、なんだか誇らしく思え、嬉しくなったのを思い出します。

 

こうして育ったせいか、私は分離不安が強く育ちました。

当たり前ですが、親の都合で弟が出来、そのタイミングで人生を制御されてたのだから、仕方ない、って思っています。

つまり自分ではどうしようもなかった、と。

急に突き放されました。

 

でも、そもそも、両親というか、その時代というのは、おとなに迎合することがよい時代でしたので、

子どもは急な人生の転換に翻弄されていたと思います。

急に決まる引っ越しにも、子どもは慣れる、といいますが、それはその子の特性によるものであって、少なくとも私は言えないストレスが蓄積されていきました。

 

とにかくいろいろ急に変わる。その先でおとなの理想に適応した生活ができなければならない。

それは、もともと粘着気質がある我が家の人間では難しかったように思います。

その昔、大卒のサラリーマンくらいでないと、転勤はありませんでした。

全国展開している会社でないと転勤はあり得ませんから。

高卒で地元の企業に就職すると、そこだけしか事業所がないので、そのままずっとその土地で暮らせます。

 

学歴と適応力とは別物なのですが、今思うと、キャリア支援(ここでいうキャリアとは適性のこと)なんて概念、皆無だったでしょうから、

随分と無理をしていたのだと思います。知らないうちに。

 

 

そのまま気づかない人は、そのまま適応できたとして、暮らせたのだと思います。

何を指標とするか、にもよりますが、とにかく私は毎日が辛くて辛くて仕方なかった。

そうして転勤の連続の果て、私個人はコミュニティをなくしました。

今でもお茶する友達はいません。

 

四方山話や愚痴などをする気軽な友達がいないのです。ひとりも。

 

でも今のメンタル状態だったら、誰ともお茶しなかったでしょう。

噂というものは、面白おかしく拡散するので、機微をそのまま理解することを宝物とする私にとっては、

苦痛の毎日になったに違いありません。

どちらも苦しいですね。

苦しい毎日です。

それすら書けなかった。

 

昨今、ツイッターやFB、ライン、など、短文で成立する価値観がコミュニケーションの主流です。

そのような中では、私の記事は、うざったいでしょう。

 

文字を知らなかったけれど、知的好奇心があった私のような人ばかりではないと思います。

すぐにしびれを切らして、

『だから何なのよ!?』とせっつきたくもなるでしょう。

 

そう、『機微』『ニュアンス』を大切にしたい人間にとっては、どうにも相容れないこの世界。

 

生きにくいなあ。。。って、心底思っています。

 

あ、こういう私も、何が言いたかったのか、ちょっと解らなくなってきています。

 

『価値観の(相当な)違い』に衝撃を受ける人間なので、という例を書きたかったのです、実は。

もうすぐお盆が近いせいか、亡父を思い出します。

まだ今は、亡父を思い出す、というよりも、亡くなった後の祀り方の壮絶な両家のバトルによって、私は大きな鬱病を発症したので、

そのことばかり考えてしまいます。

バトルというのだから、相当の乖離があったのです。

それを互いがなにがしかの『力』で戦い合わせた、ということです。

親戚が多かったですからね。

 

弟は名ばかりだし、

私は名前も出してもらえなかったし、

ただただ揉める大人たちの前で、もみくちゃになっている子どもたち状態(といっても私も弟も30代に入ったころでした)でした。

 

言いたい事言える無責任さ、

相手の心に寄り添っていない無自覚さ、

、、、ほかにもいろいろありますが、

どれもこれも、横暴で、

『人が死んだときにもこんな事するのか』ともう治らないこころの傷を受けました。

 

なにより生前父が、一番嫌っていたことです。

死んでまで揉めてほしくない、と、いっていたことです。

 

その姿は滑稽を通り越して、私のこころには、戦争よりも重たい暴力となりました。

 

自分の価値観の押し付け合い。

迎合させ合い。

とても恣意的で使役しかない世界。

 

ほんと、嫌になる。

 

だから、自分の思ったことを、自分のタイミングで、自分の思ったように、言動できる人、

羨ましいのを通り越して、

嫌悪してしまうのです。

 

立派なPTSDですねwww

 

苦しいです。毎日。

 

真のコミュニケーション、って何でしょうか。

言いたい事、触れないで欲しい事、歪曲しちゃうこと、などなど、

こころをいたわって欲しいのに、

表面の力で解決しちゃうその在り方が、

なんとも悲しすぎるのです。。。。。

 

はーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー、やっと書けたかな。

 

やっと言葉になったのだと思います。

 

相変わらず乱文です。

ごめんなさい。

 

こころを鎮静化させますね。

 

はい。

 

なでなで。